歴史が摂理を創造する


気になる記事について師観さんのブログ(我が人生の総括)へのコメントです。

一部結論部分の抜粋です。

> 結論として、神に導かれて旧統一教会に献身し、卒業することになる。

私もこの一言に尽きます。

神に導かれてというのがかなり実感が持てます。旧統一教会を卒業するのもまた、導かれてなのですね。

私は師観(おさみ)さんのように

芸術(音楽)を通して、人々の本性(神性)である真・善・美・愛・聖を覚醒させ、神をも感動する世界に誘う活動に邁進する

そのような才能があるわけではありません。しかし、こころの命ずるままにということになります。

>最後にハレ-彗星のごとく現れて消えつつある旧統一教会の存在意義は何だったのであろうか?皆さんの意見を聞きたいものである。

このことについてお話してみたいと思います。

演繹的に推論(もちろん仮説)してみると、神様の摂理を日本という国に繋げるためにあったと思います。

統一教会の創始者である文氏は韓国、あるいは北朝鮮も含む統一朝鮮を神の理想国家に想定したようですが、現実には実現されていません。

むしろ、金氏によって指導される国家、神の理想とは真逆のいわゆる主体思想による独裁国家が北朝鮮に現存しています。

今回のタイトルは「歴史が摂理を創造する」としました。

「摂理」という言葉は一般にはなじみがないでしょうから、まず歴史ということからお話してみます。

歴史は単なる過去の事実の羅列、叙述ではありません。

事実における意味づけ、意義づけが歴史ということになります。

意味や意義がなければ、牛が何頭子牛を産んだというような話で終わってしまいます。

意味づけ、意義づけとは理想と置き換えてもいいでしょう。

そうすると、日本民族にもユダヤ民族、キリスト教徒にも歴史があります。

ユダヤ民族、キリスト教徒には神の教えをこの世に実現するという理想(意義・意味づけ)があります。

日本では神話において出てきた家系、家族(皇室)が現在でも社会、民族の中心になって存在しています。

いまも世界の平和を願い、その理想のために祈りを捧げているという驚くべき国であり、民族だと言えます。

歴史とは、理想を自覚し、その理想を求めた民族の思い、歩みであるということが言えます。

一方、シナや朝鮮には、そのような理想を求める民族の歴史がありません。

あるのは、権力が確立し王朝が築かれる、そしてまたその王朝が倒れると別の王朝が立つ、そうした闘争の繰り返しのみです。

そのような国は歴史に対しての敬意がありません。

したがって、歴史は戦争の勝者が都合の良いことだけをもって作り変えるものと割り切って、ウソでも平気で事実とします。

私たちは、「神は、新しい歴史の中心を探し出し、その賛同者となる」(人類歴史の終末論)ことを学びました。

神の観点からその国の歴史に歩みより、神が賛同者となると、歴史が摂理となります。

もちろん、師観さんはじめ、多くの誠実な日本人シック(信者)の歩みは、歴史の一部となっています。

今後さらには日本の国の歴史に溶け込んで、摂理となっていくでしょう。

今まで日本は神話、伝説、そして歴史をもった国という、極めて世界でも稀な国でした。

さらにそれに加えて、神の理想を実現する摂理を持つ国へと期待されていくように思えてなりません。

旧統一教会がそのために、日本に上陸し、誠実な日本人シック(信者)の歩みによって、日本の伝統・歴史に神様の理想(摂理)が接ぎ木される切っ掛けをつくったと考えます。

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