ポスト家庭連合時代の思考について(後半の延長)

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ポスト家庭連合時代を脱宗教の時代と考えています。そうした時代にどのような考えで、思想として深めていくかというのが今回のテーマです。最終回でようやくここまでにたどり着きました。(笑)

脱宗教と言っても、最初に言いましたように人間は何かを信じて生きていく生き物ですから、宗教がまったく無くなるということではありません。キリスト教その他の宗派も生き残ってはいきます。(笑)

ただ、宗教は必要に応じて個人がそのシステム(体系、仕組み)を利用するのであって、本人自身は「聖なるもの」を直接に捉え、接触していくことが可能になっていくのだろうと思います。

中世ルネサンス期に活版印刷術によって、大量の聖書が印刷されました。こうした社会に対する情報量の飛躍が宗教革命へと繋がっていきます。これと同じように、聖書などの文字情報、知識をはるかに超えた大容量の情報が直接に得られる時代になり、精神面もよりミクロな眼で見ていけるようになっていきます。いわゆる5G(ファイブ・ジー)/IoT(アイオーティー)の世界とさらにそこにプラスα(アルファ=霊性)の世界が加わるからです。

紙面の都合上詳しい説明は省略しますが、具体的にイメージしてみましょう。

蕩減思考時代(先天時代)においては、苦行・修行はかかせません。それに伴う長い期間(教会生活、献身、修道など)が必要でした。これが一挙に短縮、もしくはまったくいらなくなります。

すなわち、苦から解放です。快の感情に基づく自由な生き方が可能となります。

例えば、初対面である人と仕事上会うことになり、会った瞬間、お互いに意気投合してその後次々とプロジェクトがスムーズに立ち上がっていくことが可能となります。快の連鎖反応で、挑戦する機会が飛躍的に増えていきます。

逆に、初めて会った瞬間から、なぜか気分が悪く、あるいは前日の晩に悪夢にうなされてしまい、相手の提示された好条件の取引をあえて断ると、後日相手の経営状態が粉飾されていることがわかり騙されずに済むこともあります。苦の回避によって、無駄な時間の浪費、精神の消耗が押さえられ、その分を創造性を発揮する方にエネルギーを投入しやすくなります。

日常生活では、相手や自分の死期が何となくわかります。そこで楽しい思い出を残す時間を共に過ごすことを何よりも優先させます。おかげで後悔することのない大切な時をお互いに過ごすことができるようになり、意義ある人生をお互いに感謝で生ききることができます。

自分自身に高感度の霊的センサーが作動しているような感覚を持つようになると、相手がどういう動機で自分に近づいて来たかが瞬時にわかってしまうことになります。こうしたセンサーを持つ者同士のネットワークが通信環境を通じて世界中に構築され、お互いに助け合ったり、支えあったりできるようになります。

必要なツールは、宗教組織的繋がりではありません。通信ネットワーク環境と聖なるものとの繋がりを意識できる霊的センサー(霊性)を持つコスモス(人材)そのものです。そしてその者たち同士の関り合いです。

ですから、ポスト家庭連合時代の思想とは、平たくまとめれば「何とかなる」ということになります。(笑)

同じ石像をみても、人それぞれで感じ方は違います。違ってよいのです。この違い(異)と多様性を認め、相手に対してではなく自分の考え方の視点を変えてみる(これを許しとか、許容といいます)と、理解できることもあります。

「何とかなる」という考えの根底にはこうした思いもあることを最後に少しばかりお伝えしておきます。そしてこの思いは、遠い昔に人類の始祖がパラダイスから出て感じ取った孤独や不安、懐疑に満ちた世界から私たちを引き離してくれるにちがいありません。

語り足りない部分もありますが、今回でこのテーマはいったん終了します。訪問いただきありがとうございました。

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