ポスト家庭連合時代の思考について(後半)

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ポスト家庭連合の思考と言っても、難しく考える必要はありません。

現実(現状)をありのままに受け入れていけばよいわけです。

私たちの現実というのは、当然キリスト教の問題ですね。

コロナ禍で家業がピンチ、どうしたものかといった悩みは本人にとっては深刻でしょうが申し訳ありませんがここでは扱いません。

クリスチャン(第二イスラエル選民)にとっては、終末が二千年も遅延していることが問題なんです。ユダヤ教徒(第一イスラエル選民)にとっては救世主がまだ一度も来られていないことが大問題なんですね。

そして、統一シック(第三イスラエル選民)にとっては再臨主は来られたが、すでに他界されてしまい、今もって地上(この世)では誰もが天国のような気分にはなれないことなんです。終末はさらに再延長されたかもと懐疑的になっているんですね。

つまり、ユダヤ教から今日の家庭連合に至るまで理論的に整理できずにきているわけです。原理ですべて解かれているわけではありません。

例えば、【宗教religionの語源は、神と人を結びつける】ですが、どうやって結び付けるのか?当然ですが血の繋がり(いわゆる血統)ではないわけですね。

キリスト教の根本教理である三位一体もどうなんでしょう?父と子と聖霊ですが、父と子はともかく、聖霊って何?とか。そもそもメシヤ家庭で父と子、子と母が争っていて、三位一体もなにもないだろ?一体(いったい)じゃなくて、痛い(いたい)だろって揶揄されそうなんですね。

ここのところの理論的整理がつくまでには時間がかかりそうです。(何百年単位かな?)その間ずっと敵対する相手(教団)と無駄な中傷が続くわけなんですね。(苦笑)

この間に選民型の宗教は次の選民に引き継がれるうちに、分裂を繰り返します。ユダヤ教、キリスト教しかりです。ですから家庭連合も早くも分裂したでしょう。

しかし、今回は選民型宗教を存続させるための宗教改革(かつてのプロテスタントの出現)は必要ありません。その代わりに脱宗教のための良心革命が求められたわけでした。

本然の祝福を予定(摂理)していたわけでしたが、その本然の祝福を受けそびれてしまったわけですね。主な理由はこの前に詳しくお話しましたね。

私たちとしては残念なことではありますが、そうガッカリすることもありません。当初の神様の願いである脱宗教による天国実現という目的は別の方法で達成すれば良いからなんです。

どうしても宗教(キリスト教)である限り、神学の目的(神と人間の関係)を論理的、体系的にまとめないといけないという縛りがあります。要は異教徒(異端)との闘いで理論武装が必要になるわけです。

脱宗教においては、そんな面倒なことはいらなくなります。(笑)

悪についてもキリスト教の思想、論理では決して無くなりません。悪があるから善が成り立つという悪と善が同じロジック上にあるからなんです。

例をあげると、最近、お母様の石像が話題になっていますが、あの像はお母様の心象の投影には違いありませんが、脱宗教しそこなったことによるグレートマザー信仰への回帰なのです。キリスト教側からすると、母なる神を信仰する異教徒との闘いをしていることになるわけです。母なる神を悪と見立てているわけですね。どちらも脱宗教できないので、イスラム教とキリスト教の闘い、カソリックとプロテスタントの闘い等の類と同じになります。この先も相手を悪魔呼ばわりして、きりがないのです。(苦笑)

一方、お母様の石像を脱宗教的に考えるとどのように見るかというわけですね。これは趣味の範囲と考えるわけですね。好きか嫌いかは別にして、「こういう趣味なんや」と捉えるわけです。趣味の問題ですから、善いも悪いもないわけですね。(笑)

偶像(石像)崇拝とか、そんなに大げさに考えなくていいわけです。そもそも神学的訓練(原理を学んだ人も含む)を受けた人からみたら、何かの記念のオブジェくらいにしか思わないですよ。世の中の人からみたら神を偶像にするとそれはそれでわかりやすいですが。(笑)

お母様は伝道戦略のターゲットをキリスト教徒(選民)から世の中の一般の人々(神学的訓練を受けていない人)に方向転換されたのかもしれません。

私たちはむしろ、説明(理論、理屈)不能な霊性(直観)のような嗅覚をどう生かしていくかということが課題になってくるんですね。

手続きの簡略化とでもいいますか、宗教を通さず、直接神と交信する、この表現はよくないかも。宇宙人との交信みたいに聞こえてしまいますからね。(笑)

使い古された表現だけど、神様との一体化と言うんでしょうね。キリスト教から抜け出すには神(親)との繋がりを説明できないといけないわけです。これについてはイエス様だけでなく、お父様のやり残した課題でもあるんですね。

今回お母様の石像の話で長くなってしまいました。

申し訳ありません。次回(後半の延長)に続くとさせてください。

本日はこのへんで失礼します。

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