神様は、私たちが創る真の愛によって喜びの扉を開けられる


真の愛を確立する時代

創造理想を実現する時代圏を感じています。

贖罪(救済史)パターンを抜け出し、創造モードに入っていると感じています。

 

言葉を変えれば、神様の責任による摂理時代から、神様の子女たちの責任によって、み旨を開いていく時代になったのではないかと思うのです。

 

神様の子女として、どんな責任を任されているのか、どのように感じているのか。

それは一言で言うなら、「真の愛の確立」だと思います。

 

「真の愛」とは、神様から一方的に与えられる愛ではありません。

子女が見出して実現化(心情体験化)していく愛です。

 

四大心情(子女の愛、兄弟の愛姉妹の愛、夫婦の愛、父母の愛)の実現と言ってもよいでしょう。

 

霊的救いと肉的救い

クリスチャンが、イエス様によって成したのが霊的救い(義認)です。

 

これは、お父様のみ言によれば、「良心としての神様」を見出した(良心革命を成した)ということです。

この良心革命を原理用語で解説すると、霊人体の生心に存在している神様を知った、目覚めた(復帰した)ということになります。無知(堕落)だったものから、知に至って、「良心としての神様」を解放したということになります。

 

一方、肉的救いは、クリスチャンも家庭連合(統一シック、祝福家庭)もその意味するところが今までわかりませんでした。

 

肉的救いとは、肉身の中にある肉心に神様を迎えることなのです。肉心に神様(聖霊)が存在できるようにすることです。霊的救い(生心の神様)も肉的救い(肉心の聖霊)も、どちらも心情の解放(心情革命)ということなのです。

 

ですから、血統転換は心情転換と言われるゆえんです。

 

摂理的妾の立場の人たちと聖霊の役事

良心革命を成した人たち(クリスチャンや一部のシック、祝福家庭)に、いかに肉心に聖霊を迎えさせるかがお父様の課題でした。

 

そしてお父様は、聖霊の心情を探していかれたのだと思います。そのためにお父様が尋ねていかれた人たちが摂理的妾の立場の人だったのではないかと思います。

 

人が祭物となっているところから捜していかなければ、肉的救いに必要な心情(真の愛)は見つからなかったのだと思います。

 

祭物となった人は、捨てられた立場でも神様を信じきるという、信仰の貞操を示す人たちでした。世の中から見たら、人(組織)からは忘れられ、捨てられたような妾のような存在といえます。

 

私は、そうした立場の人が、情を聖化させた(感謝していく)ことによって、良心革命を成したクリスチャン、良心家、シック、祝福家庭の肉心に聖霊が入っていける道が開かれるようになったと考えています。

 

これをお父様は生前、「聖霊の役事」と呼んでいました。

 

 

クリスチャンは、聖化(霊肉供の救い)を聖霊の働きによる一方的賜物として、神様が自分の中に宿ってくださると考えていました。

しかし、人間の側(お父様だけに限らずですが)からの壮絶な心情の峠(闘い)が必要であったということを私(たち)は知る必要があります。

 

お母様もそうした闘い、峠を経験されてきました。そう思えば、最終的に越えられなかったとはいえ、責められるべきものでもないように思います。

 

愛し抜いていく主体性の確立

真の愛を貫くには、「神様を愛し抜いていく主体性」の確立が必要です。

これには、摂理的妾の立場の人が示した、「捨てられた立場でも、神様を信じきる」という心情が土台となっていきます。

 

私(たち)は、この心情を足場にして、実体的な天国を創建(入籍)していきます。

 

実体とは、実態という形あるものの中に入れる心情という形のないもののことです。

言いかえれば、肉身の中にある肉心に、人間の責任において創造していく真の愛を迎え入れることなのです。

 

生心に存在する神様の愛と、私(たち)の肉心で創りだす真の愛の相乗効果(授受作用)で、これからの天国基盤はできあがっていくことでしょう。

 

そこに私は希望を感じているところです。

 

 

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