今日は、よく晴れました
風は冷たく、遠くの山々の雪や湖面は輝いていました。
風を感じると、どこからか、心に光と音を感じます。
穏やかな気持ちで湖畔に立って、景色を楽しんでいます。
ここは、以前何度か訪れたなつかしい湖です。
記念に写真を一枚撮りました。(笑)
創世からの怒り
何事も結果が出るまでに十年といわれています。
教会での修行に何年かかったことでしょうか。
私は二十歳そこそこで教会に献身して、五十歳過ぎてから覚醒しました。
実に三十年以上かかりました。
さらに、高みを目指すとなると、さらにもう何十年もかかるのでしょうか。(笑)
輪廻転生の考えでは何代にも渡ってカルマを浄めるようです。
過去生から何万年もかかるという話です。(苦笑)
覚醒しても、正義感からの怒りや道徳的価値観からくる怒りは消えません。
怒りの心は、私(本当の自分)を守るために働く心(エゴ)です。
自己防衛のためのストレスの発散、エネルギーの開放が怒りとなって現れます。
相手の強いエゴに対する怒りです。
正当な理由はこちら側にあります。
良い思い(怒り)であっても「責めるエネルギー」を内包しています。
相手の攻撃を引き受けてしまうのは、自分にも引き寄せてしまうものがあるからでしょうか。
創世時に、自分を守ってくれる存在を失ったと思い込んだためでしょうか。
その時に満たされない感覚を持ったためでしょうか。
心の深いところで恐れや不足の感覚、悲しみ、怒りがあるようです。
自分の中にある闇
心の闇の奥にある深い安らぎ(=本当の自分)は怒りによって守られています。
しかし、その怒りに執着してしまうと、エネルギーは滞り、相手へ向けられた怒りは破壊する力へと変質していきます。
その破壊力で相手は粉々に吹き飛び、そして相手は私を恐れるのです。
自分の考えと違う。
受け入れられない、理解できないという思い。
価値観の違いからくる嫌悪。
それは小さな怒りの始まりです。
「何か面白くない」という感情。
対象のない怒り。
やり場のない気持ち。
イライラする感覚。
自分の平和が乱されたという思い。
世界や社会の矛盾に対する怒り。
教会組織に裏切られたという記憶が怒りとなります。
屈辱、無念さ、悔しさが心に染み込んでしまいました。
怒りは身を守る機能、自己防衛としての破壊の力。
自分の中に闇をつくってしまいました。
自分の思いが投影された世界が目の前に広がっています。
湖面に凍る氷のように。
信仰を突き抜けて、人は変わります
周りを見ると、人と自分との違いを発見します。
ひとり浮いてしまっています。
いつしか、水面を離れ、高く舞い上がっています。
風を切って、空を駆け巡っています。
そして、識別します、区別します。
選民としての誇りがあるからでしょうか。
選ばれた自分がいて、優劣をつけているのでしょうか。
「ジャッジする心」は自分が正しいというこだわり(執着)だと気づきます。
一方でクリエイティブな力もあります。
緊張や葛藤もします。
意識が進化すると、自分が今何を感じ、何を思っているか深いところからわかるようになります。
人が変わるためには、高次元のエネルギーからの祝福が必要です。
祝福は、人が変わるためのものです。
マスター(メシアと聖霊)につながり、聖なるエネルギーを伝授していただきました。
通常のトリセツでは、マスター(メシアと聖霊)との信頼関係が必要です。
「この先に光がある」と信じる必要があるからです。
そう信じないと怖くて闇の中を進めないからです。(笑)
しかし、私にとって、信じるという次元の信頼関係は突き抜けていくことでしか、闇の向こう側には進めませんでした。
信仰を突き抜けることは、マスター(メシア)から裏切られても恨まないということです。
心の中は常に、「暗闇に入っても光が見えるのか、本当に大丈夫なのか」という疑いがどこまでも果てしなく続くのです。
理性でみる限り、この組織はずいぶん昔にとっくに破綻しているようです。
しかし、信じなくても(信仰がなくても)、怖くても(疑い深くても)、前に進む者たちはいます。
私はまるで、自爆テロか、特攻隊員のように突き進みました。(苦笑)
テロリストは、自爆によって天国へ行けると信じます。
私の場合、奈落の底に落ちてさえ、神も悪魔も誰も恨まない。
肝心な点はネジが緩んでいるという究極の御人好しでした。(確かに聖霊は寄り添ってくれていましたが、苦笑)
このとき、信仰がなくても、捨て身の覚悟があれば、闇を突き進めるということを悟りました。
信仰を突き抜けると、人は変わり、根源に触れるのです。
心情の十字架さえもわすれる
私の中のエゴは、自分でなくなることに恐怖を覚えます。
最後の砦であるエゴを魂に明け渡すのです。
これが血統転換だと悟りました。
心がすべてをつくりだしています。
自分の考えは自分の心がつくりだしています。
外の現象も自分の心がつくりだしています。
苦しみも自分がつくりだしています。
心はエネルギーの形態、変化する存在です。
執着しないことで、怒りや悲しみを超えた平和が現れます。
心は必ず転換できます。そしてさらに進化し続けます。
痛みを感じることは進化している証拠です。
時々、心は全身血だるまになって、血潮を噴き上げて、なおも生きようとします。
これが心情の十字架というものなのでしょうか。
この痛みも自分の中の毒に気づくためのものだったのでしょうか。
気づくことは苦しみでもありますがその苦しみを乗り越えて、
どう生きたらいいか、目覚めることができます。
私の中にある「人も自分も信じられない」という思い。
これは本当の自分を守る思い=エゴの思いです。
傷つくことを恐れていました。
相手への祈り、微笑み。
相手への気配り。
怒りを与えず、愛のやりとりを始めます。
無償の愛=存在するだけで嬉しいと思える愛。
見返りを求めない、期待しない愛、慈愛。
なんと!痛みをともなう、誇り高きフレーズでしょうか。
国づくりはここから。
心を明け渡すことから。
心情の十字架さえもわすれるところから。
マスター(メシア)も苦しんだ怒りを手放す
自分を苦しめているのは誰なのか。
平和を失わせているのは誰なのか。
すべては自分の心がつくっている。
そうした心に気づき、そうした心を手放すことが天国につながる第一歩です。
「み言を理解できなければやらない」では悟ることはできません。
「周り全部が良くなったら、自分も良い人になるよ」では天国には到達しません。
「あなたがいることで、私の嫌な気分を知ることができました。」
「自分はまだまだ成長できていません。ありがとうございます。」
「そのことに気づかせてくれたあなたに感謝します。」
怒りを感謝に切り替えながら、現世を歩むことにします。
マスター(メシア)も最後まで苦しんだ怒りを手放します。
怒りは、現世でのバランスのとり方に必要です。
あえて封印していきます。
怒りを覚えたら、怒りに感謝することにします。
私(本当の自分)を守ってくれるエゴにも感謝することにします。
感謝によって、怒りのエネルギーを正しい方向に使うことにします。
そして怒りを気前よく手放します。
自分もストレスを感じない、相手にも癒しのエネルギーを与えられるようにします。
これからその方法を見出していきます。(笑)
風は心地良さもあれば、心地悪さもある
今日も、風は心地良さと心地悪さを交互に運んできます。
ゾクゾクする感覚や冷たさ・温かさです。
根源に近い感覚は、今日の空のように輝き、青く澄んでいることでしょう。
*大雪でお困りの地方の皆様にはお見舞い申し上げます。