平穏の祈り
平穏の祈りはご存知でしょうか。
アメリカの神学者の名前から〈ニーバーの祈り〉とも言われています。
以下のような祈りです。
「神よ、変えることができるものについて、それを変えるだけの勇気をわれに与えたまえ。
変えることができないものについては、それを受け入れるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、変えることができるものと、変えることができないものとを識別する知恵を与えたまえ。」
相手を変えることは難しいです。
でも自分を変えることは祈らなくてもできます。
相手への思いや対処の仕方を変えてみてはどうでしょうか。
相手は妻や子供たち、あるいは兄弟姉妹、友人、知人、親戚、上司など、自分以外の人たちです。
もちろん、お母様、ご子女様であってもよいと思います。(苦笑)
ニーバーにならって、私も祈ってみたいと思います。
私たちは直接神様に祈り、尋ね、話ができる立場です。
神様への率直な祈りができればよいかなと思います。(笑)
お母様に責任をもっていかれるお父様
私はこんな祈りをしてみました。
~~~~~~~
神様、お父様を見ていると、まるで〈ニーバーの祈り〉をされているようですね。
お母様を守っているのは、神様ではなく、聖和されたお父様自身ではないですか?
私にはそんな気がしています。
お父様はお母様の背後とか、横におられて、必死に守っておられますね。
神様、あなたが堕落したアダム・エバを手放さなかったように、お父様も最後までお母様とともにおられるようですね。
ただ、お母様が気づかないだけでしょう。
お母様の心が離れているためでしょうか。
神様、お父様は最後までお母様に責任を持っていかれる覚悟をされたみたいですね。
これってお父様の執着なのでしょうか?
それとも愛なのでしょうか?
私にはよくわかりません。
でも、お母様のことは、お父様に任せておくのがよろしいのですね。
ご子女様どうしのことも、お互いそれぞれに任せておくのがよろしいのですね。
神様、あなたにも闇があるように、真の家庭にも闇があって、ご子女様にもそれぞれ闇があって、そのことにお父様はとっくに気づいておられたのですね。
その闇は光に変えることはできるのでしょうか?
お父様の心を知ればわかるのでしょうか?
お父様がお母様とともに、地獄までいく決意をされたことが私にはなぜか眩しく感じています。
お母様がこれからどのような道を歩まれようが、変わらないお父様の心があることがわかります。
神様、あなたにも変わらない心があるのですから、闇に光は差すのですね。
~~~~~~~
コーリングを聴く
キリスト教には、Calling(コーリング)という表現があるそうです。
〈神のお召し〉という意味です。
お父様(メシア)と出会って、血統が変わると、このCallingを感じるようになります。
私の場合は氏族メシアであること、真の父母になることです。
でも人それぞれですから、感じるものが違うかと思います。
自分が何のために生き、何をするのかということを見つけることが大切です。
私たちの人生はまだまだ続きます。
どんな家族にも問題はあります。
真の家庭も例外ではありません。
この先、お母様の悔い改めを信じることは悪いことではありません。
しかし、信じることが私(たち)の一番のやるべきことや、唯一のことではありません。
コーリングを聴いて、自分のやるべきことを知る必要があります。
信仰を突き抜けましょう
信仰は突き抜けるものです。
信仰の内に留まることは、どうしても神様とよそよそしい関係になります。
人や物を通さないと会えない神様になってしまうからです。
私たちに必要なのは信仰の体験ではなく、今を神様とともに生きることです。
お陰様で今日も生きています。
このお陰の中には、神様はもちろんのこと、先祖や天使たち、そして家族や周りの大勢の人たちがいます。
お父様、お母様、ご子女様もお陰さまに当然含まれています。
心地よい振動の波(感謝)を起こしながら、前へと進んでいきましょう。