今年を振り返って
今年も残りわずかとなりました。
今年は霊界を意識する年でした。そのおかげで、ますます元気になりました。笑
個人的には、血圧が少し高めですが、薬には頼らず、病気や怪我もせず、健康で今日まで過ごすことができたことに感謝しています。
おかげで、人からは実年齢より、若くみられます。笑
また、今年は家族の中に病気や怪我もありましたが、現在は回復していますので、ここまでこれたのは、霊界(守護霊、天使)から、以下のメッセージを受け取っていたせいなのかもしれません。笑
『幸せを感じなさい。』
『自由に生きなさい。』
『人生を深く、楽しみなさい。』
というものです。
蕩減時代は過ぎ去った
これまでの人生、特に家庭連合(旧統一教会)での献身生活や環故郷しての生活(サラリーマン生活)は楽しいことが少なかったように思います。苦笑
蕩減だからという思いや修行という意識があって、自分を教会という殻の中に閉じ込めてしまっていたように思います。
教会の腐敗や真のお父様(文氏)やお母様(韓氏)、ご子女様たちの実態(苦悩と闇)を知れば知るほど、絶望と怒りがこみ上げてきた時期もありました。涙
しかし、私自身そのおかげで、今は教会の殻を破って、自由になることができたように思います。
今はこの怒りを愛しゆるす力に転換できたように思います。
一言で言うならば、蕩減は終わったと感じています。
自分が幸せになってはいけないと考えることはやめました。
私が幸せになり、幸せを周りに広げていきたいと思うようになりました。
“幸せを探す旅に出てみると、実は自分の中にあったのです”
こうした物語は案外多いのではないでしょうか。笑
自分を大切にすることは、他人をないがしろにすることではありません。
霊界からは、
『自分をゆるすこと』
『自分を愛すること』
『自由になること』
とメッセージをいただいています。
これの意味するところは、自分をゆるせて、はじめて人をゆるせるということのようです。
さらに、深くみつめてみると、
自分の中の神様を愛して、はじめて自分以外の人の中の神様を発見し、愛することができるようになると感じています。
人格完成と個性完成は違う
個性完成(第一祝福)は人格完成とは違うように思います。
人格完成は、三大祝福が全うされてからです。それまでの途上では人格は不完全です。
三大(代)王権も確立できていないのに人格者であることの方が怪しいと思います。苦笑
個性完成は、気が短いなら短いということを神様につなげることができているかどうかだと思います。気が短い人は、むしろ摂理を早めるのに適していますから。笑
私も気が短いですし、執念深いです。おかげで家庭連合(教会)がどんなに腐敗しようが、一人でもみ旨を遂行する覚悟が自ずと出てきました。苦笑
個性完成(第一祝福)は、世の中で言われている人格者を目指すのではなく、神様に対する一本筋を通すことだと思います。筋とは、原理用語では血統と表現しています。
私はこれ(血統)を動機であると悟っています。
どこまでも霊界から来る動機を狂わさない。
自己中心の動機ではなく、神様の為にという動機で生きているかどうかで、自分を常に確認しています。
ですから個性完成(第一祝福)の段階では、性格(人格)は二の次で良いと思います。苦笑
あるシックは、動機は見えないから、自己中心であるかそうでないかはわからないと私に言いました。
その通りです。誰もわかりません。
わかるのは、神様と自分、そしてサタンだけです。
常に自分と神様とサタンとだけの闘いをして、全戦全勝することができる人が個性完成した人です。そして、動機の選択は自分の心が決めます。他人からはわかりません。それでよいと思います。
サタンからの讒訴がなければ、勝者です。
他人から見たら、人格的に破綻していても、個性完成している場合があると思います。
お父様もお母様も、ご子女様も他人から見て、判断はできません。
しかし、個性完成した者どうしで、いつまでもけんかすることはよくありません。
次の段階の家庭、氏族、民族、国家へとつなげる(広がる)ことができないからです。
お母様、ご子女様たちがいつまでもいがみあっていては、個性完成した者とはいえないと思います。
私(たち)はそうした争いとは無縁であるという立場(新しい摂理時代)に立って、逆に仲の良い夫婦、仲の良い親子、兄弟姉妹の関係を築いていきたいと思っています。
そのためにも霊界とは常にコンタクトをとる必要があると思います。
霊界は善の競争はあっても、争いのない世界だからです。
*厳密には善霊と悪霊の争いはあるのですが、あくまでも善霊界に限定しての話です。汗
霊界との交わりについての補足
三次元の世界にはこの世界のルールがあります。
このルールも大切にします。
霊界の願い通りにはいかない場合もあるということです。苦笑
霊界からメッセージを受け取っても、選択権は三次元に生きる自分の中にあります。
主体(責任)は自分にあるということです。
霊界からのアドバイスには感謝するにしても、行動、意思決定の責任は自分自身にあるのです。
神様の子女としてはこの点を自覚して、霊界とは楽しくコンタクトをとるように心がけていきます。
現在、この世界での自分を取り巻く環境は厳しいものがあります。
特に隣国やアジア情勢(北朝鮮、中国)は難しい舵取りが必要です。今朝の産経新聞には日韓両国が自前の核武装を検討することを促す見出しが出ています。
武力(軍事力)は一時的かつ即効性がある力です。
私はこの力を否定するものではありません。
だからこそ、制空権(霊界)を掌握する必要性を痛感しています。
それでは、みなさま、よいお年を。
コメントを残す