日常の中で神様と過ごそう
突然ですが、両親が離婚し、週末しか片方の親に会えない子どもを想像してみましょう。
これは今の家庭連合の現状かもしれません。
子どもは親との貴重な時間を第三者に邪魔されたくはないのではありませんか。私の中の神様は時々寂しい表情を見せます。
ですから、私は私の中の神様を連れ出してふたりきりの時間を持ちます。
まるで恋人であるかのような時間です。苦笑
例えば、車を走らせて、田舎道をドライブするのも良いでしょうし、今の季節ならお気に入りの音楽を聴きながら、秋の夜長を楽しむのも良いでしょう。
私の中の神様はスポーツが好きです。
競技場の熱気を心の神様と共有するため、ひいきのチームをスタジアムで大きな声で応援します。
時には、静かな図書館でひと時を過ごすのもいいかもしれません。
でも心の神様は「こんなくそまじめで、たいくつなのは嫌いだ!」と叫ぶかもしれませんが。笑
では、地元の旬な採りたての果物でつくるスイーツを一緒に味わうのはどうでしょう。人生を美味しく味わう幸せがありますね。笑
とにかく、自分の中の神様の言い分を日常の中で聞き分けてみてください。
そのときに気をつけることは、常に遊び心を忘れずに、自分の中の神様と親しむこと、楽しむことを心がけてみましょう。
神様との遊び、そして挑戦(冒険)
心の神様とじっくり時間をかけて親しむことは、まさに自分自身を知ることでもあります。
自分がどんなことに関心をもっているのか、注意深く自分の中の神様を見つめていきます。
これは祈りにも似たものとなります。
そう言えば、真のお父様も釣りがお好きでしたね。
私たちも自分の心にある川や海や湖や沼で、大きな魚、小さな魚、太った魚、やせた魚など、様々な魚を釣り上げてみてはどうでしょうか。
創造の源である心の中の川や海、湖沼で使う釣り針と糸は、言葉だけではなく、視覚、聴覚、味覚、触覚といった感覚です。そして時にはそれ以上の感覚も必要です。
義務的に釣針を投げ込む必要はまったくありません。
自分にとって興味のあることや、関心の抱けるものが、心の中の神様も望んでおられるものです。
うまくやろうとせずに、神霊を大切にしてほしいと思います。
神霊はきわめて単純なものです。
日常の中の反復的な行為の中に、ちょっとした遊びと挑戦(冒険)を加えてみればわかるものです。
例えば、いつも通っている道をちょっと変えてみるだけで、心の神様から何か新鮮なヒントをいただけます。
ドライブも場所によって、音楽を変えてみてはどうでしょう。峠の上りではワルツを聴いてみる。下りは交響詩といった感じです。
でもトンネル内で幻想即興曲はやめておきましょう。たいくつで眠たくなってしまいますから。笑
若い年代の方であれば、クリスタル・ケイちゃんの曲もいいかな。
人生を豊かなものに
そろそろ夜も更けてまいりました。
これからの人生をさらに豊かにするためには?
その答えは、外の世界にあるのではなく、自分の中の内にあります。
このことをメッセージとしてお伝えします。
今夜は心の神様とセレナーデを聴きながら眠ることにします。
それではおやすみなさい。
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