場所論的神学
無意識に受けている”その場”からのエネルギーがあります。
例えば、天気の良い日に公園で過ごすのは気分がいいですね。
晴れて澄んだ空、光や空気、風、緑の木々や草花。
その場が持つエネルギーが万物(自然)を通して、元気にしてくれます。
これをちょっと神学的に解釈すると、
「神様が万物(自然)と溶け合っていて、場をつくっている」ということ
なのではないでしょうか。
これを「場所論的神学」と呼ぶ人もいます。
神様は置かれている「場」に存在するということでしょう。
万物(自然)界だけでなく、人間においても、「神様は私の中に住み給う」と同時に
私の一部になって溶け合っているということになります。
場所論的神学と四位基台
場所論的神学の良い点は、統一原理の四位基台を想定しやすいところにあります。
今まで、人格主義的神様は、超越的他者として君臨しているというような私の外に在るイメージがありました。
しかし、その分、全知全能なのに不正や悪に対処できないという問題が指摘されやすかったように思います。
それに対して、場所論的神学は「場」は清めますが、あくまでもその「場」を活用するか、否かは人間自身、あるいは人間どうしの間において、その責任があるということになります。
例えば、おいしいコーヒーを出してさし上げる時に紙コップに入れて出すか、焼き物のコーヒーカップに入れて出すかでは、受け取る側の喜びの度合いが違います。
場のエネルギーを最大限に発揮させるのが、人間の役割(責任)ということになります。
人間の役割はこの責任をいかに果たすかということです。
これは場所論的神学では四位基台の造成ということで説明ができます。
場所論的神学と私たちの課題
今後私たちが果たすべき役割はこの基台の造成にあります。
個人はもちろん、家庭の基台、社会の基台です。
このためのノウハウの蓄積と実践、具体的成果を提示していけるような取り組みが必要になってくるように思います。
追伸
このブログ村も「場」でできています。
どんなエネルギーに満ちているのか?
皆さんは意識されたことはおありでしょうか。
カオス状態なのか?
道筋が見えているのか?
それぞれのブロガーの皆様は、自分の「場」を形成しながら、
強烈なエネルギーを発揮されておられます。(笑)
それぞれに神様の働きが宿る「場」であると良いですね。