今まで良心に内在する神様についてお話してきました。
今日はそこから少し話を広げていこうと思います。
結論を先に言いますと、神様を心の中に閉じ込めずに、身体やその周りの人・自然・環境と相互に関連させて理解し、そこから一緒に成長していこうということなんです。
自然環境の中に立って、大いに感動し、神様の心情に触れるということは皆様も理解できるでしょう。
また、人間社会において、時としてある使命を持った人々の振る舞いや言動に、聖霊の働きを感じることも可能なはずです。
ただ、こうした流れの中では「何かがあると思っていたのに、実はなかった。違っていた」ということがあって、自分の中で消化しきれず理解できなくなってしまうことがあります。そして「実はない」ということに漠然とした不安を抱え込んでしまうのです。
例えば、真の父母としての位置があっても、真の父と真の母に授受的相互作用が必ずしもあるとは限らない(無いことも充分あり得る)と知ってしまったとしたらどうでしょうか。前代未聞驚天動地の出来事と思ってしまうのではないでしょうか。
ところが見方を変えて、今の真のお母様の言動の変わり様を個性真理体に即した自由という視点でみると、私たちに大きな気づきを与えてくださっているようにも感じてしまうわけです。そこから「私」がどう決断(自覚)するか、一つの問いが立ち現れてくるのです。
問いというより悟りと言った方がいいかもしれません。これからの世界は自然や人、万物があるから、神様の働きを感じるというのではなく、また人やその集まりを前提として「確かさ」を求めようとする前に、まずそこに(当たり前のようではあるがもう一度)授受的相互関係があるかどうかに注目してみてはどうかというのです。
すなわち、主体と対象の位置があるから授受作用があるのではなく、授受作用があるから、主体と対象が存在できうるということなのです。見えないものを意識して、存在を考えていく癖をつけるのです。
み言的に言えば、「完全なマイナスになると、(授受作用によって)完全なプラスが現れる」ということなんですが、ちょっと深読みしすぎかもしれませんね。(笑)
しかし、こう考えてみるだけで、今まで「何があっても不変なものとして存在すべき実体」として、神様や真の父母様を固定的にとらえていた世界から抜け出せます。そして柔軟に自分自身の在り方も変える(成長させる)ことが可能になってくることがわかります。(わかるという意味は、知的認識というより、直観的感覚に近いのですが)
さらに言えば、「何があっても不変なものとして存在すべき実体」 は、神様や真の父母様だけにとどまりませんね。顯進様や亨進様、その他のご子女様方にも当てはまります。 顯進様や亨進様 と「私」は授受的相互作用ができているのだろうかと考えてみるだけでも、私たち自身の接し方や 固定化された関係性 に格段に影響が出てきます。
永遠不変絶対的な何かを人や存在そのものに当てはめようとすると、変動する実体環境(心境の変化)に翻弄されて、私たち自身を縛る前提(血統)を抜け出すことができなくなってしまいます。抜け出そうとさらに何か別の絶対的不変なものを求めるようになったり、肝心の自分自身の中身の成長(飛躍的変化)を望むことを忘れるようになっていきます。
現実の場面では「ああ、違ったのか」と気づいて柔軟に自分のあり方を変えられるシステムを持つことが必要です。
授受的相互作用こそが個性(真理体)であるというシステムです。ここで四位基台を思い出してください。お馴染みの平面にするとビジュアル的には四角いやつですね。(笑)
この四位基台の心と体の授受的相互作用に注目してください。すでに神様は内在されているので今回は特に注目しなくてかまいません。(笑)
授受的相互作用で個性真理体を完成(造成)させるのですが、この個性真理体の個性には人それぞれで幅があります。これが「変動としての自由な驚き」をもたらします。
ですから四位基台というシステムは、授受的相互作用において、「多様な現れ」を形成すると思ったほうがよいでしょう。さらに固定したものに固着しない、解放される自由をも持っているとみて良いでしょう。そこから 一段高次において 自由に「同じもの」を得ることも可能になってくるのです。
独生女という新たな現象が現れるとき、それはこれまで見られた授受的相互作用を壊すものであるとしても、むしろそれが要素となって新たな授受的相互作用が生まれ、もっと広い文脈のなかで私たちも「同じもの」を位置づけすることが可能となってきます。
新たな独生女とともに新たな授受的相互作用による四位基台が現れれば、それに対して身を開いていくことで、私たちシック自身もより「確かな生き方」も可能になっていきます。
私たちはお母様の独生女に呼応するように、自分が持つ「四位基台」において、変化、変動させながら、お母様と「同じもの」を持つ(見なす)ような戦略をとることができるからです。
この戦略を通して、私たちは庶子圏から実子圏に決定的にステップアップしていく(踏み越えていける)「確かさ」と「自由」を得る最短な近道を見出していけることを感じています。
真のお母様が独生女を示されるなら、私たちも(養子圏、庶子圏からステップアップして) 実子圏 を堂々と提示してもかまわないということなのです。
もちろん、これはお母様の背後にて霊界からの真のお父様の戦略であると仮定しての話なんですが。(笑)
まさに、「(真のお母様の背後にお父様が)ツイてる。ツイてる。ラッキー!ありがとう~!」なのです。(笑)
追記:
今日の現代物理学においては、原子、陽子、中性子は光同様に「粒子」であり「波動」であると言われています。しかし、実はこのことを科学者の中で理解できている人はいません。物理学者の多くは「見えないけれども背後にあるのか?見えないのにどうしてあるとわかるのか?」と問われても、本音は関わりたくないと思っています。ただ 理解できなくても「場」という視点で物を見れば(=使えれば)よいと柔軟に考えているのです。
私たちも四位基台は何かと問われても、シックの中で本当に理解できている人はいないかもしれません。しかし、今は使えて利用ができれば良いのではないでしょうか。 物理学的な「場」があるように、神様が働く「場」であることに違いはないのですから。