繁栄する日本

ここちよさに道をゆく

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なんとなく日本国旗にも見えるローズティーカップ

昔、統一教会の「統一」というイメージに、とてもあこがれました。しかし、今はそうでもありません。一神教は統一を目指します。しかし、それは勢力の拡大、支配になりかねないからです。支配や勢力の範囲内では平和な秩序は成立しますが、世界がひとつになるまで(統一されるまで)は戦争がずっと続きます。これは、とてもしんどいことですし、たいへんだということがわかってきました。

一方、支配(統一)からの独立という選択肢もあります。世界をみれば、このパターンをよくみかけます。理由は何であれ、最近でもアフガニスタンにおいて新しい政権が打ち立てられました。およそ、世界で国家ができるまでには、「国家独立宣言」をなし、その国の独立を認める国が周辺諸国に現れる必要があります。

さらに承認しない他国に対しては、対抗する姿勢(武力やら軍事同盟)を示し、最終的には戦争をして勝てば、国として認められることになります。つまり、戦争に勝つということが独立国として存続していくうえではとても大事になります。さもないと、その国は消滅することになるからです。

こういう常識がわかると、北朝鮮が自国の国民が飢えても核をはじめ、武力に固執することが理解できるかと思います。しかし、唯一、この常識が上から下まで理解できない国民がいます。実際にこの世界に存続できているのが不思議なくらいです。しかも、とても長い歴史を持ち続け、世界有数の文明国なのです。それが日本人であり、日本国なのです。

この国は多神教で、共存、並立の平和を心から望みます。古来から日本人の考え方は、戦い、争いを避ける和合の考え方です。統一=支配とは相いれません。このような国家が現存できることが奇跡に近いのです。言い方を変えれば、世界の非常識となっているのです。

先日行われた東京オリンピック2020の参加国・地域は200以上となっています。この参加国・地域の中で、民族の独立問題に関心の無い国はどこもありません。国内においてさえ、国がいくつにも別れかねない状況が常にあるわけです。民族の数から言えば、8000以上の民族が200あまりの国・地域に閉じ込められているわけです。

中国の少数民族を抹殺するというやり方が悪いと言う一方で、もし少数民族が独立すれば、国が分裂するという発想も世界中のすべての国においてはとても常識的なことなのです。ところが、一体化とか、統一とか、人類は一家族等々、当たり前のように考えてしまう(実現できるかは別ですが)、とても世界の中では非常識な国民、民族が日本人なのです。

もちろん、異民族、少数民族とも仲良く暮らしていける方法はあります。やさしくしてあげればよいわけです。自分たちが飢えていても、食べ物を分け与える。コロナウイルスのワクチンも気前よく、分け隔てなく与えればよいのです。しかし、これを実行するには通常は、同じ宗教圏であったり、同じ道徳心を持っていなければなりません。その常識を超えて、日本人は別の黄金ルールを自然環境から学んでいったと考えられます。

日本人が自然の中に秩序、ルールを見出し、その見出した黄金ルールを神道と名付けたのです。

ここで、ひとつ例をあげてみます。日本の神道が聖徳太子によって仏教を受け入れていった時のことです。その受け入れ方がじつに調和的だったのです。聖徳太子の遺志を継いで、聖武天皇が東大寺の大仏造営を行います。その時に伊勢にも行幸して伊勢神宮に大仏造営の加護を祈られています。これは、大仏を大日如来と考えてのことです。天照大御神の姿と大仏を重ね合わせていたからでしょう。

争わないという神道的な考えが土台にあって、そのうえで、心が心地よく感じる方法で仏教を取り入れる工夫をされていったのです。

日本では有名な最澄と空海もそうです。この二人の僧侶は聖徳太子の思想(和をもって貴しとする)を深めました。最澄は出家者だけでなく、すべての人々が救済されることを訴えました。また、空海も即身成仏の教えを広めながら、現世においても悟りを開き仏陀になれることを説きました。

神道における共同体の救いに、仏教としての個人の救いをうまく結びつけて、合一させていくことができました。

これが日本人がすんなりと、現世だけでなく、死んだ後には、神にもなれると同時に「ほとけ」にもなれると考えられる所以です。並立して違和感がないのです。

日本では神仏が融合されて共存しながら、神と仏の共生ができあがっていきました。宗教の合一(統一ではありません)ができていったということです。

もちろん、家庭協会における「まことのちち、はは」の思想も取り入れられ、個人の救いの段階から、家庭浄土への架け橋として、日本において定着していくことも充分可能であると考えます。

日本人の自然を重視する考えは、自然を単なるネイチャーとは考えません。「天地人」と考えるからです。自然=天地人に神様を感じることができるからです。そこに存在する神様のエネルギーに悟りを開き、智慧を授かりながら、一体となれるのです。

また別の言葉で表せば、「心地よさ」となるでしょうか。心地よさとは「道」でもあります。

神道とは神様の心地よさです。お父様のみ言では、夜の神様です。神様がまだ確かな心情を持つ前の混沌とした状況下で、心地よさを求めていった情世界です。そこから神様は「自ら然り」としての情が発し始まっていきます。天地創造のイメージやビックバンのような激しさとは違い、心地よく感じる、ゆったりとした互恵、補完、調和し合う情世界の道程を神様は歩まれていったのです。

これをそのまま辿ることができるのが日本人です。日本人が愛してやまない、道の世界(柔道、剣道、華道、茶道など)を通して感じることができます。そして、私達日本人シックにおいては、み旨道(み旨の道)としての心地よさを感じながら、今も歩み続けているのです。

最後に三種の神器のお話をします。日本には三種の神器があります。代々の天皇に引き継がれています。その中に八咫鏡(やたのかがみ)があります。なぜ、日本民族はこの鏡を守ってきているのでしょう。この鏡は実際には見ることはできません。しかし、この鏡に映った自分を見るということを考えたことがありますでしょうか。

神様は旧約のモーセには石板に語られたみ言でした。また、キリスト教徒においては、神様は聖書にあるみ言でした。これからは、私たちの日本人の心の鏡に自分を映すとそこに神様が現れるということなのではないでしょうか。

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