息子とのやりとりで、気づかされました
唐突ですが、先日LINEで息子(祝福二世家庭)と会話していて、気づかされました。
今回、その気づきをタイトルにしてみました。
以下に気づきを得た時の会話のやりとりを掲載しています。
部分的に編集してあります。
ーーーー引用 はじめーー
息子: サンクチュアリって知ってる?
私:文先生の七男が始めた、米国にある教会だね。
私:現在、家庭連合(旧統一教会)とは対立しているね。
息子:親父はどっち派?
私:あれ? 言ってなかったけ? 神様派。
私:神様派は、主体的に神様を愛する祝福家庭です。
私:宗教的派閥、ドグマを超越しています。(笑)
息子:ドグマ?
私:ドグマ(教団、教義)を越えているということ。
私:つまり、一人ひとりが「真の父母」を目指す存在だと言う意味だね。
息子:神様派ね! おれもそうかも
私:○○くんの感じている通り。その自覚大事だね。w
息子:押す!
ーーー 引用 おわりーーー
たわいもない親子の会話です、
・・・と言いたいのですが。(苦笑)
ここには霊的闘いがあるのです。
二世祝福家庭の存在は、二世全体の5%にも満たないようですね。
つまり、霊的には単純には守られていない状態なのです。
私の息子の家庭も、家庭存続(離婚話?)の危機を迎えています。
では、親としてどうすべきでしょうか?
もちろん、双方の親の基台で、守ってあげたいところなんですが。
霊的には厳しいものもあってなかなかできません。
それぞれの親同士の家庭基台が、やれ家庭連合だの、サンクチュアリだの、3男支持派などと言って、それぞれ別れていては無理でしょう?
ひとりひとりの家庭基台の次元だけでは守りきれないのです。
はるか次元の違うところで、大きなひずみが発生しているように思うからです。
そこで、聖なる力を発動せよ!となるわけです。
少々、オカルトチックになってしまいました。(笑)
ですが、理屈ではもはや祝福家庭の基台は守りきれません。(苦笑)
悪念(悪なる力、その影響力)はSNSの世界まで影響している
心の清潔さが悪念(悪なる力、その影響力)を退けるというものです。
悪念(悪なる力、その影響力)は、社会そして世界に蔓延しています。
さらにSNSの世界、ネットの世界でも先行しています。
現にここブログ村でもいろんな思惑が渦巻く磁場エネルギーを感じます。
悪念(悪なる力、その影響力)とは、神様の願いやみ旨、あるいは神様を否定する
すべての思いや考え・思想のことです。
神様を語りながら、相手の存在を無視したり、否定する思いは必要ありません。
私の中にある、内なる意志、霊の炎を自覚し、まずは断言することをします
様々な恐怖心(例えば病気になるかも、お金がないかも、離婚するかも等々)がわき起こるときも、
その心の思いを追放するのは、内なる意志、霊の炎です。
「私の家庭は霊の炎をあつかう、不滅の霊の基台です。」
このように念じ、瞑想し、自覚していきます。
冷静になって落ち着いて、じっくり考えてもみます。
良心が望まないことに、思いが引っ張られていないだろうか?
悪念に引き寄せられているようだなと感じたら、
先の言葉を心の中で念じます。
さらに、
「私の家庭基台は、悪なる思いやその影響力を受けません。そのような思いや力は私の家庭基台には効きません。」
または、
「私の家庭基台は、内なる霊と意志の知識に安らいでいます。私の家庭基台に悪なる力は存在できません。」
このように心の中で(口外しなくてもいいので)、断言しちゃいます。(笑)
今こそ、聖なる力を使用するときです
これについて、ナンセンス!とか、いったい何の根拠があるんだ!と言いたい人、議論したい人も
おられるでしょう?
しかし、この際、理屈は必要ありません。(笑)
不快な精神的空気(磁場に働くエネルギー)を中和させ、その影響を受けずに自分(もしくは自分の家庭基台)を強く保つには、まずは自己の存在について、正当的血統を断言するということです。
日本では古来より、祈願という形で、資格ある僧侶や神官がこうした力を使っています。
これを逆に悪用した場合では、呪いと呼ばれるものになっていきます。
氏族メシアとしての祝福家庭も、こうした力を使用する時がいよいよ来たように思います。
なぜなら、
私たちは自我(肉心)と高我(生心)を内在させている存在だからです。
すなわち霊的生き物として生きている者たちだからです。