人生旅日記 真の父母スタイル

神様の棄民と選民のはざまで

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新年おめでとうございます。

本年もよろしくお願いいたします。

新年早々、重たいテーマですみません。ここから本文です。(笑)

私たちは家庭連合という組織を自分を守る(安心させる)ための鎧または箱舟と考えているのかもしれません。

そして、その考えの根底には選民意識(ここでは優越心と置き換える)が働いているように思います。

選ばれた者として守られている、愛されているという安心感があるのかもしれません。

こうしたことはどんな宗教組織においても言えることでしょう。

しかし、ひそかに別の場所にも選民はいるようにも感じています。

イエス様はご自分の言葉を文書にして残すことはありませんでした。後に弟子たちが聖書として残しました。文先生は膨大なご自身の語った内容を文書(み言集)にして残しています。

イエス様は文書による「教え」を伝達するのが目的ではなかったようです。イエス様はご自身が歩んだ道を示唆されたかったように思えます。

文先生においても先生ご自身が歩んだ「み旨の道」というものに注目したいと思います。そうしなければ、文書(み言集)の解釈や表現の違い(改ざん云々など)で揉めることになってしまうからです。

教えを学ぶべき信徒たちは、教えのひとつ先を超えて向こう側に行く必要があるように思います。

なぜなら教えを学び、その内容を信ずること、すなわち宗教を信仰するということは、その一方で健全な懐疑を封じ、思考を停止させてしまうリスクもあるからです。

お母様ご自身やその信徒たちが 独生女論を学び信じることは、宗教という枠内では何の問題もないことです。信仰の自由はあるのですから。

ただリスクを言えば、信者としてその教えのすべてを信じなくとも、組織内においては生きていけるものです。宗教とか信仰者とはもともとそうしたものと考えれば、今の腐敗した沼地状態の現状も理解はできます。そもそも聖書の教えに従わないキリスト教徒は世界にも大勢いますから。(苦笑)

しかし、教えを実践、歩む者にとってはむしろ、宗教は邪魔にしかならなくなります。信仰の負の部分が見え、自らが歩む足を引っ張るからです。

正統や異端の論争・対決に巻き込まれてしまいます。正統と異端の関係は流動的ですから、時を経ると正統が異端にもなり、その逆もありで結局のところ決着がつかないまま消耗戦となり、お互いに疲弊と不満だけが残るのです。

そう考えれば、教会や信者の群れからはみ出して、悩みながらも道を切り開こうとする者、もがく中で神様を見出していく者たちには注目したいところです。

例えば、有名なマザー・テレサについて、皆様はどう思われているでしょうか。

誰よりも教会に忠実で信仰深く、神を愛した人のように思うでしょうか。

実は彼女は神を求めてはいましたが、その神が見つからない不在感を抱えて悩んでいました。そうした内面を生々しく告白しています。

神不在の感覚で孤独に陥り、信仰も無くなり、空虚と暗闇以外何もないと神父に手紙を書いているのです。

しかし、テレサは自分が葛藤する中で 、最後にはそうした自分をすべて受け入れたのです。しかも喜んで。

彼女はしたたかで、現実的でしたから、むしろ教会の説く理想とは対極の位置にいたように思います。それ故、宗教のもつ限界、信仰の持つ限界を率直に語り、神不在感覚を持ったのだと私は思います。

宗教、信仰の信じる、信じないという枠内だけではもはや人の魂の救いは限界なのですね。

○○教の教えを信じた、△△協会に賛同参画したというだけでは、テレサの言う「神の不在感覚」の境地にさえも到達できないことでしょう。

多くの信者や信仰者がそうであるように、神がいるかいないかはわからない、しかし強く信じこんでみる。あるいは信じてはいないがとにかくついていこうという現実が宗教と信仰の限界のように思います。

テレサのように神を疑い神の不在をつぶやいても、み旨の道を実践することの方がより神様には近づいているように私には思えます。

神様は以前は宗教圏に選民を立ててきました。そこから今現在はむしろマザー・テレサが感じた神不在の感覚を突き破るように、信仰や宗教のその先に入り込んで一人一人の心情世界に個別に選民を立てられているように思います。

そこは、一度は神様から捨てられた立場(棄民として)から、這い上がってきた者がたどり着ける場所として準備されているように思います。

そこから見る景色は、父母がわが子を見るのに似ています。

神様も神様ご自身から捨てられたと言ったら皆様は変に思うでしょうか。こうした感覚は夜の神様、昼の神様との間でやりとりした関係(感覚)から私が推察したものです。でもなぜかとてもリアルに感じるのです。

神様が選民に込めた思いには決してひとつも優越的な感情はありません。むしろ、選民に立てられた者たちにとっては痛みと苦しみがともないます。しかし、それらを自らの手で喜びと希望に転換させていくこともできるというのが現代の選民たちです。

神様を知った(感じた)時、自分の脳内にドーパミンやエンドルフィンが分泌されているというような科学的な説明は要らないでしょう。(笑)

むしろ「神様はなぜ、この私でなければならないのか」という本質的な意味を求める必要があると思います。

私には人も組織も資金もないわけで。おまけに信仰もないのですから。(苦笑)

今年も棄民(きみん=神様への信仰を捨てた民)と選民(せんみん=神様の深奥でもがく民)のはざまで生きていきます。(苦笑)

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