師観さんとはどんな人ですか?


 

私は神様に尋ねました。

「師観さんとはどんな人ですか?」

「タタン・タンタン、チチン・チンチンだね。」(笑)

 

皆さん、師観先輩はひょっとしたら、おもしろい人かもしれませんよ。

私はそう思いました。(笑)

 

今回は師観先輩のブログへのコメントです。

 

師観さんのブログ

『アボジについて思うこと(神を父母とした万民一家族の共生共栄共義の実現のために前進しましょう)について』のコメントです。

 

いつのものように長文になりますので、私のブログに記事として載せます。(笑)

 

1、アボジはメシアではないという噂があるらしい?

誰が言っているのかというと複数の霊能者だそうですね。

 

霊能者に何がわかるというのだろう?

そもそも、霊能者たちは神様を実感しない(知らない)し、、ましてやメシアを真剣に求めたりはしない人種なのではないだろうか?(苦笑)

いわば門外漢の人たちなのではないだろうか。

 

例えれば、サッカーの試合で真剣にプレーをしている選手に対して、柿の種を食ってビールを飲みながら、「もっと走れ!へたくそ!またゴール外しやがって!」とヤジをとばしている品のない観客にしか思えないのだが。(微苦笑)

 

アボジがメシアであろうが、なかろうが彼ら彼女ら(霊能者)にとってはどうでも良いことなのでしょう。「私は霊能者として世界平和、神様のために生きています」というような人物がはたしているのだろうか、おそらくいないのではないだろうか。

いたらむしろ、ちょっと怖い。その霊的能力を無駄にダダ漏れさせているくらいがちょうど良いのかもしれません。(笑)

 

霊能者の能力は神様の血統、心情とは関係ないということを知っておきましょう。

 

2、アボジは会議では朴先生や神山氏に何を言っても無視されていたようですが?

私もアボジは晩年、ご高齢で意味不明なことをおっしゃっていたという話を聞いたことがあります。夜の神、昼の神など難解なみ言も残されていますね。

 

朴先生や神山先生には申し訳ありませんが、会議での模様は朴先生や神山先生が弟子としての限界を明確に現わされているのではないかと思います。

 

例えば、悟りの先達は弟子に公案(禅宗で悟りを開くために与えられる宿題)を出すことがありますがこれと似ています。話の内容は意味不明なものなんです。

白隠和尚などは「片手で拍手をしてみなさい」と言われたりもします。(笑)

 

たぶん、アボジは内心、先生方に対して「悟ってないね。私とこんなに長く一緒にいながら、最後まで弟子の位置を超えられなかったんだね。」と残念に思われていたことでしょう。

 

単刀直入的ビジネス会議の世界ではないのです。

悟らなければ霊的に死んでしまうという師と弟子の真剣勝負の場であったのではないでしょうか。

この勝負に負ければ、自ずと負けた弟子の霊性は鈍って、混迷していくわけです。

これはメシアと出会う中で、選民圏(皇族圏)に生きようとする者たちにとっては宿命のようにも思います。

 

また、愛は「棚からぼたもち』で降ってはこないのです。今の自分を自分で制してしまえば、そこで終わりです。僕(しもべ)のままなのです。

 

小山田先生もアボジが120歳まで、140歳まで生きるという意味を文字通りに理解されてしまったようです。理性は万能ではないのです。さらに信仰も万能ではないのです。

小山田先生はアボジの解脱者としての背後を悟ることができなかったようです。生意気な言い方で申し訳ありませんが小山田先生も弟子としての限界を露呈されてしまったように感じました。今日の霊的低迷ぶりのお姿には本当に残念に思います。

3、韓国の霊通する姉妹がアボジがメシアではないという啓示を受けているようですが?

この啓示に同調するKさんは、アボジが事実からかけ離れたことを言うのでメシアではないと考えたそうです。

 

啓示を受けて、「ああそうですか」とならないのが世の常ですね。

啓示は現代には通用しません。(笑)

「やっぱ、あれは思い違いだ、錯覚だ、妄想だ」と言われてしまいます。(笑)

 

ケイジ(刑事)の前に、確固たるショウコ(笑子=ユーモア)を示せたらいいな。(笑)

 

この世界では人から笑われて初めて、神様の世界がわかると言えるでしょう。

皆様もさんざんバカにされたり、笑われてきたのではありませんか?(笑)

 

啓示をあてにするより、世の中で一番笑われた人物が誰なのか、そのことを考えたほうが結論が早いように思います。もちろん職業的芸人は除外しますが。(笑)

 

もともと、アボジのように神様をこの現実の世界に登場させることは笑われるどころか、狂気じみているように思います。

ですから、いままで宗教としての枠内の中に神様を閉じ込めて、かろうじて信仰というベールで覆い隠しながら、さらに訳のわからないみ言で人類にはモヤをかけて隠してきたのではないでしょうか。(笑)

 

現実の世界を肯定すれば、アボジどころか、メシアや神様さえおとぎ話の世界になるのではないですか。

 

早い話、生きた神様を実感する者などいないことが大前提のように思いますよ、この世の中は。

もし、いたとすれば精神病患者か、変人扱いされかねないですね。

かろうじて、宗教家として守られているにすぎないのです。(苦笑)

 

霊通は世の中の現象を肉眼で見るのと同じで、霊界を見せられているわけです。しかし、同じように見えているようですが見る人によって見方はまったく違うものになります。

 

例えば、「若い女と老婆」という有名な絵があります。視覚における両義的表現を通して、二つのイメージを私たちに提供します。霊界においても見る者の動機が狂えば、その動機のごとくに見えるものなのです。

 

ヒル(妻と義母)

 

4、アボジの動機は何であったのか?

「最初は人類のメシヤ意識があったが、後に韓国メシアに変わって行ったのか、初めから韓国メシアが本音で、建前として人類のメシアのように語っていたのか」、わからないようです。

 

アボジの動機は、アボジの血統、神様の血統に繋がらないとわかりません。

 

自分の父親が誰なのか、どうしたらわかるというのでしょうか。

血液鑑定などしなくても、父がそうだといえばそうなのです。また自分がそうだと思えばそうなのです。心情=動機とはそういうものです。内側から感じるものなのです。(微笑)

 

血統とは動機です。

くどいようですが、アボジの意味する血統は血筋ではありません。(微笑)

 

ウオンピル先生はじめ大物先生方はアボジは天道を逸脱したので、アボジの家庭は財の問題で分裂し、大きな家庭問題が起きてしまったと思われているようです。

 

これもウオンピル先生方たちには申し訳ありませんが、弟子たちのおろかな考え方でしかないように思います。

もちろん、ウオンピル先生方は人格者でいらっしゃいます。そのことに間違いはないでしょう。しかし、心情血統はアボジには繋がっていなかったのかもしれませんね。(微苦笑)

 

いつまでも弟子の立場から抜け出せない(堕落圏から自由になれない)と、晩年のアボジは李王朝の再現を果たしたかのように思えるようになってしまいます。

 

神様の子女の立場から見れば、決してウオンピル先生たちのようには考えないでしょう。

神様の血統を天聖経一冊430万円と値切ってしまったのは弟子たちのふがいなさからなのです。

 

 

ウオンピル先生はじめ、大物先生方のだれがアボジに首を賭けて、一度でも提案、進言、明言されたというのでしょうか?

 

「アボジ!なぜ、430万円で魂が救われるのですか?」

「アボジ!私自身はお金でアボジを通して、神様の血統に繋がったのではありませんよ!」

「アボジ!私に世界と韓国(日本)の国の救いをお任せください。アボジに代わって、お金のかからないリーズナブルな救いを実現させてごらんにいれます。ぜひ世界会長に任命してください。」

 

このように、ウオンピル先生ご自身が組織(教会)と世界の救いに対して、お金のかからない救いの責任者(メシア)になることをアボジに願い出て、内部改革していけば良かったのです。

 

チャンスはいくらでもあったのです。神様が準備されたアボジを支える人物は大勢いたのです。でも、みんな太鼓持ちになってしまったのではないでしょうか。

 

ウオンピル先生はじめ、大物先生方にその器(神様の真の子女としての)がなかったのがアボジを窮地に追い詰めた(メシア性の真偽を問われる)ことになったのではないでしょうか。

 

私には、最後の最後まで「真の子女としての弟子」の登場を今か今かと切に願って、全力でご自身の責任を果たされておられた(語られておられた)アボジの姿があったように感じています。(常々、弟子の悟りにアボジが干渉できないことはご存知ですよね)

 

アボジを良く知る?と言われる古参の信徒たちは、アボジのどこを見てきたのでしょう。あなたがたはアボジの表面的言動をみて内面の血統(動機)を見失ったのではありませんか。

その証拠に誰一人、アボジが願い求めたもの(神様の血統)を得られなかったのではありませんか。

 

メシア(父)を越えなければ、真の子女とは認められないのです。古参信徒の皆さんはそのことを悟れませんでしたね。

 

弟子に意気地がなかったと言えばそれまでですが、その前に長くお傍で仕えていても、アボジと心情血統が最後まで繋がった方が一人もいなかった。神様と血統が繋がった古参信徒や先生方がいなかった。こうしたことが人類復帰歴史の悲劇として語られてもよいものなのでしょうか。

 

イエス様の時も最後までイエス様につき従った弟子は一人もいなかったのです。それだけではなく、さらにはイエス様を超えて弟子から子女となった者も誰一人いなかったのが神様の悲しみだったのです。

 5、「故人の足跡をなめるのではなく、故人の求めたものをもとめよ」

ここの箇所はまさに禅問答のようになっていますね、(笑)

 

私は師観先輩のこの思いがどこから来ているのか。今後尋ねていきたいと思っています。

ぜひ悟り、求め得たいと思っています。(笑)

 

理性を超えて、信仰を超えて、心情で悟る者たちが第四イスラエル圏、皇族圏を歩む者となると思うからです。

 

私(たち)は、おろかな先輩弟子たちの轍を踏むことなく、今もなお頼もしく、希望を抱いて歩む師観先輩とともにこれからも前進して行きたいと思っています。

 

ではどうしたら良いのでしょう。

6、真の父母として認められのは皇族圏を形成してから?

「父母たる者は子女が完成しないと父母として完成したことにはならないのです。沢山子女を生んだけれども、堕落しなかった子女はH2だけだというのではサタンも人類も真の父母として認めないでしょう。」

 

私(たち)がアボジの真の子女となることが肝要だと思います。

 

血統は心情ですから、血縁関係がなくても良いはずですね。直系のご子女様たちは王族圏を形成します。

私(たち)は弟子という立場からアボジの子女という立場(動機)を勝ち取れば良いのです。そこから血縁としては繋がっていないけれども、心情血統が繋がっているという立場で、神様の皇族圏を形成していくことになります。

 

私(たち)にはアボジと親子でありながら、同時に神様の子女という感覚があります。

神様を頂点にして、アボジを真の父母としての四位基台を心に秘めて持っているためです。

これがアボジがメシアという位置を離れても、メシアの代わりに真の父母として留まっているという所以です。

 

そうした感覚が確かにあります。(笑)

師観先輩もおありのようですから、私だけではなかったようですね。(笑)

 

ところで、私(たち)は変人なんでしょうか。それともユーモア人なのでしょうか。(笑)

あまりにも、浮き上がってしまいましたから、笑わずにはいられませんね。(笑)

7、アボジは地獄にいる、そして私(たち)も行くのです

霊能者が言うようにアボジは苦悩しています。地獄にいるようです。

しかし、決して自分のことで苦しんでいるのではありません。

 

神様の子女の立場から考えれば、当然そうだろうなと思います。地獄を撤廃するまでは、心から笑えないのが神様ですから。

その神様の心情を知って、その地獄を撤廃するためにアボジは地獄の現場に先に行かれて、今も力を尽くされておられるのです。

 

霊通する韓国の信徒達のメッセージでは、「神はアボジに神を中心として世界を統一することを願ったのに、自分を中心に世界を統一しようとした。」そうです。

 

そこで、私は韓国の信徒達にお聞きしたいと思います。

あなたたちの中で、誰が自らこれから神様を中心として世界を統一しようと考えておられるのですか?

 

「自分の心と体の統一ができていない」とアボジに言われれば、首をすくめて黙って下を向いてしまう者たちばかりではありませんか?

 

天国に我先に行こうとか、天国で楽をしたいと思うのは勝手ですが、それってどういう動機なんでしょう?

 

はたして韓国シックが感じたというその思い(=自分を中心に世界を統一しようとした)とは、いったいどこから出てきた思いなんでしょうか?

 

ご自身の動機の中からではありませんでしょうか?

 

くれぐれも残りの人生を、最後まで動機を奪われないようにしていきたいものです。

動機はどこまでも心情であり、そして神様の血統に繋がるものなのですから大切にしてくださいね。

 

動機(血統)を奪われたら、そこから腐っていくしかないのが祝福家庭やシックの運命ではないでしょうか?

 

ここまで、お読みいただいて、心臓がドキドキしましたでしょうか?

動機が正しいと鼓動も正しく、ドウキ、ドウキと神様の鼓動に同期しますね。(笑)

 

師観先輩はトータルでアボジを見ています。

私も心情(動機)でアボジを見ています。アボジの動機(血統)は100%神様のものです。

 

なぜなら、神様と繋がるところはそこしかないからです。無形の神様とどこで、どうやって繋がるというのでしょうか。

 

アボジの「神様の友になりたい」という動機は私(たち)の中に今も生きて流れているのです。

 

それ以外の点は、「人間だもの」で良いのではないでしょうか。(笑)

皆さん、地獄でまたお会いしましょう。(笑)

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

これからも元気を出していきましょう。

 

師観先輩がおっしゃるように。

「神を父母とした万民一家族の共生共栄共義」の実現のために、前進してまいりましょう。

(笑)

 

註;今回は、共同社会、共同体についてのコメントはあえて控えさせていただきました。

 

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