私たちのまわりには、常に否定やネガティブの世界が広がっています。
「ダメ」と意味づけをする人たちが多いからです。
脳によって意味づけをしているのです。
どのような「意味の場」を作るのかという話(「意味の場」を改めて解説する kitasendo氏のブログ記事)がありました。
それはその人がどんな感性や思考を持っているのかということですね。
お話では「意味の場」を切り替えるとのことです。
「敵対」から「和解」へと切り替える例があげられていました。
私自身が変れば、切り替えられるとのことです。
私は、この話の先のことを考えてみました。
敵対も和解も、自分の外の対象に対して、自分が変れば、つまり切り替えれば変わるはずと考えます。
これは、今を生きていくにはとてもしんどいことなのです。
自分が「ヤバい」と意味づけしている状況を「すばらしい」と考えることがとても難しいからです。
毎日、映像で建物が破壊され、兵士ばかりではなく、子どもたちが死傷している様を見聞きします。
とても切り替えができない状態にあります。
自分の心の中を見つめるとき、否定も肯定も、悲しみも喜びもすべて含めて、感じる先にあるものの存在があります。
それは、「わたしであって、私ではない存在そのもの」です。
その存在は、ただ、わたしの中にあるのです。
そして、とくに意味などはありません。
ですから、「意味の場」を変えることは難しいのですけれど、「存在の場」を見出すことは可能です。
どんな人間、様々な人の心の中にも、「わたしであって、私ではない存在感」を見出せると思うからです。
わたしにとって、今はこのことがわたし自身の元気の源になっているのです。