足裏に不快(ふかい)意味(臭い)はない?(笑)


 

 

 

社会生活をするうえで、神様の子女としての自覚 1

 

はじめに

シリーズで(何回かにわけて)、投稿していきます。

しばらく、おつきあいください。

 

その前におことわりです。

 

「霊感商法に深い意味がない」という人へ

議論はしません。(笑)

ですからお読みにならないでください。(苦笑)

 

深い意味などないという方には以下の話はつまらないたわごとになります。無視されてお読みにならないようお願いします。

 

 

当然ですが、神様、サタンを否定する方もお読みにならないでください。

神様、サタンの存在を知っていることを前提にお話しています。

 

神様なんかいない、信じない。サタンなんかいない、摂理なんか、わけワカメ(=わけわからん、笑)の方、文氏は詐欺師(=悪いやつ、笑)と思われる方も、この記事はお読みにならないでください。

 

読むと気分が悪くなります。(苦笑)

 

ーーーーーここから本文です。ーーー

教会を出て、み旨を実践される方たちへ

今、教会(家庭連合)に見切りをつけて(あるいは宗教を卒業されて)、実社会に出ていかれる方たちがいます。

 

私は摂理の方向性としては当然な流れ(み旨の流れ)だと感じています。

そこで、そうした実社会で歩むときの神様の子女としてのマインドセット(考え方、行動)について今回はお話してみたいと思います。

 

 

すべての問題の本質は、血統問題

くどいようですが、ひょっとしたら「霊感商法に深い意味があるかも」という人を対象にお話していますので、あしからず。(笑)

 

神様は信じる、原理も信じる、でも文先生(お父様)は信じたくても信じられない、意味不明、文氏は人格的に崩壊している、分裂しているのではという方を対象にこの記事を書いています。(苦笑)

 

そうした方たちにお伝えします。

以下の私の考えに共感していただかなくてもよいです。(笑)

情報としてそういう考え(あくまでも私の仮説です)もあるのかということを知っておくだけでもよいと思います。(笑)

 

特に神様や原理と文先生(お父様)の存在の間で、葛藤している方、ひどく悩まれている方にはお薦めです。自分が言うのもなんなんですが(笑)

 

すべての問題の本質は、文氏(お父様)と私という存在の間だけの問題です。

家庭連合(腐敗した組織や幹部)の問題ではありません。

 

すなわち、本質は霊感商法も文先生(お父様)と私との心情的隔たりなのです。

これを血統問題といいます。

 

実社会で歩むときにアボジが障壁になる

今後、私たちがみ旨(三大祝福)を歩むにあたって、神様を信じ、原理を信じ、実践していく場合、大きな障壁があります。

 

それは社会そのものの中にあるのではありません。

みなさんの心の中にあるのです。

 

まちがいなくアボジ(お父様)の存在が大きな障壁になってきます。

 

えっ!「どうして、アボジが障壁になるの?」

と思われましたか?

 

それとも、確かに、「そうかも」と思われましたか?

 

霊感商法の背後は、アボジ(お父様)です。

アボジ(お父様)を乗り越えなければ、実社会でのみ旨の勝利はありえないからです。

 

日大(にちだい)のアメフト監督、コーチの動機が間違っていた

今、日本の社会では日大(にちだい=日本大学)のアメフトの選手が試合の中で相手チームの選手に危険なタックル(反則行為)をしたことが問題になっていますね。

 

この危険行為をした選手に監督、コーチの指示があったのか、あるいはそうした行動を促す言動はなかったのかが焦点になっています。

 

選手ひとりの単独行動とは考えにくいわけです。

 

霊感商法もこれと同じです。信者や現場責任者の単独行動ということは考えにくいわけです。

 

日大(にちだい)のアメフト試合における危険行為を監督が指示したかどうかを社会は問題にしています。しかし、私は監督の関与を前提(指示もしくは意図した)としたうえで、その行為の動機をみつめる(考える)ことのほうが、私たちには重要だと考えています。

 

なぜなら、すべての人間の行動や行為は、動機、すなわち血統が影響、反映していると考えるからです。

 

組織であればトップの考え(動機)となります。

 

アボジが私の心の障壁となって、心に立ちはだかる

日大(にちだい)のアメフト試合における反則行為はさておき、霊感商法は当然その背後では、アボジ(お父様)が間違いなく関与されています。

 

ですから、関与されているアボジの動機をみていかないと、今後私たちがみ旨そのものを前進させるうえで、とても大きな壁になってしまうのです。

 

仮に、霊感商法でアボジ(お父様)の動機が単なる金儲けで信者をだましている詐欺行為だとした場合どうでしょうか。

 

私たちがこれからホームチャーチを進めます、あるいは氏族メシア活動を進めます、天国実現でみ旨をがんばりますと言っても、

 

それはウソくさいことになるでしょう。(苦笑)

 

すなわち、アボジ(お父様)の動機を乗り越えていかなければ、その先のホームチャーチ、家庭教会、氏族メシア、さらには真の父母、地上天国などありえないからです。

 

霊感商法に深い意味がないという方や、全面的に否定される方もおられますが、そうすると、原理は土台から崩れます。

 

ホームチャーチはすばらしい、原理の理想もすばらしい。

でも霊感商法だけは、いただけない。

 

信者が勝手にやったことだからしかたない。

 

六マリヤ(文氏の複数の妾)はアボジの人間的側面だから、しかたがない。

 

これでは、世間には通用しません。

誰も納得しません。

 

さらにサタンも「あなたの良心はそれで納得するんですか?しないでしょう?」と問いかけてきます。

 

そして、良心が研ぎ澄まされた人であればあるほど、やがて崩壊してしまうのです。

 

つまり、廃人(崩壊する)になるということです。

 

良心の神様は納得しないから、私自身がアボジによって追い詰められていくわけです。

 

これがアボジが私の心の障壁になっているという理由なのです。

 

原理や良心の神様を教えてくれた人物は、霊感商法、六マリヤを行った同じ人物です。

 

いわば表の顔と裏の顔を持っていたというのですから。

 

聖霊は限界のときに動機を神様に向けたときに現れる

こうした葛藤は聖霊の助けなくしては、もはや自分ひとりでは乗り越えることは不可能に近いのです。

 

聖霊は心が崩壊する直前(限界状況)まで、現れません。

今までは具体的には借金で多額の献金をして返済に行き詰った場合や、分派として除名されるなど、かなりハードな体験が必要でした。

中には師観先輩のように、片腕を失ったり、性欲で真剣にずっと悩まれた方もおられます。

しかし、皆さんそれぞれ限界を超えて聖霊と出会っていることには間違いありません。

 

そうした中で、教会の借金を肩代わりして破産、家が競売にかけられるなど、追い詰められ、自殺されてしまった方もおられます。

 

ご子女様の中にも、組織を追われて孤独を味わうという境遇を経験された方もおられます。

 

すべては動機(血統)を神様のものとして、新しく出発するためだったと言えるでしょう。

 

限界状況に追い詰められたときに、動機を神様にむけた場合には神様が手を差し伸べます。

 

限界状況では誰も助けてはくれません。

残念ながら、教会も兄弟姉妹も、アボジすら助けてはくれません。

 

助けてくれるのは神様(聖霊)だけなのです。

 

動機(血統)には表も裏もない

私はアボジ(お父様)の血統(動機)にいささかの狂いはなかったとみています。

動機(血統)には表も裏もないからです。

 

血統(動機)は単純です。

どちらかだけです。

 

すなわち、神様の血統(動機)なのか、

あるいはサタンの血統(動機)なのかだけです。

 

どちらかの血統(動機)を使い分けるとか、

あるいはふたつの血統(動機)を同時に持つ(使用して行動する)ことはありえません。

 

これは、原理の崩壊、神様そのものの崩壊となります。

 

正午定着の生活にも盲点としての影は存在する

実社会は正午定着が理想の姿です。

影のない生活(行動)です。

 

しかし、その生活を実社会で実践しようとする場合、すなわち地に足をつけて歩む場合には、盲点があるのです。

 

それが地に足がついている足裏なのです。

足裏は、必ず影の部分となりますから。(笑)

 

その足裏を他人に見せた時に、「君のアシって。くっさ~!」。

そこに不快(ふかい)意味などないと言われても。

苦笑です。

 

実社会で生活するときの心がまえ

何をするにしても、どんな仕事をするにしても、

自分の心に対してだけは、ウソをつかないという心がまえは必要です。

 

 

神様が関与しているのか、関係していることなのか。

み旨にとって意味があるのか。

 

こうした問いかけをしながら歩む必要があります。

 

そうすると、意味があるかないかは、自然と自分の心が教えてくれます。

よく祈ってみればわかるという方がいますが、そういう時代は過ぎています。

祈らずとも即決で、あるいは多少時間がかかっても自分の心が教えてくれる時代圏です。

 

もちろん、世の中の法律やモラルはきちんと守っていかないといけません。

 

しかし、もしモラルを破るようなことで悩む状況があるとすれば、それはあなたに直接、神様がお願いされた場合でしょう。

 

ただし、組織のトップからの指示や、誰からの命令というもので、その状況は決して起こりません。

 

その時は自分の足裏の臭さは自分だけが嗅げばよいのです。(笑)

 

そうした覚悟をすることが神様の子女としての自覚です。

 

ご子女様たちも、そうした覚悟はすでにおありなのです。

神様の子女と僕(しもべ)の違いです。

 

この辺については愛が深くかかわってきます。

今回は長くなりますので省略します。

 

次回の記事では、血統転換は心情転換だということをバーチャルで体験してみましょう。

 

追記

冒頭の写真は昨日、上高地に行って撮ったニリンソウの群生地です。

満開でとてもきれいでしたね。

 

ニリンソウの葉は漢方薬になりますが、トリカブト(猛毒)の葉と似ています。このトリカブトはニリンソウの群生地に混ざって生えています。初心者はこの花は眺めるだけにしておきましょう。

 

なにやらみ旨にも共通していますね。

み旨の初心者はアボジを外から眺めるだけのほうがきれいで、よさそうです。(笑)

 

ちなみに花言葉は「ずっと一緒」です。(爆)

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