真の父母の開かれた傷から生まれ出るものとは


なぜ、真の家庭に苦しみがあるのか。

私たちはなぜ、争わなければならないのか。

そして、、、、、神様はどこにおられるのだろうか。

多くのシックたちはこうした思いを少なくとも持たれているではないでしょうか。

真の父母の開いた傷を抱えて、ともに生き続けることはとても苦しいことですね。

私自身、父母の心の傷の痛みを和らげたり、あるいは傷の存在を否定したりすることはできません。

しかし、だからと言って、前にも後ろにも行けなくなってしまってはいけません。

むしろ、私も一緒に、いっそう深くこの世の受苦の痛みを感じながら、神様に新たなる創造について問うようにしたいなあと思っています。

ヨブ記に出てくるヨブさんは、神様の許可を得たサタンによってありとあらゆる苦しみを味わいますね。これを理性だけでは説明することはできません。

しかし、ヨブさんは最後には苦しみの中から、理論を超えた神様からの答えを感じ取ることができました。

今、私たちが苦しむのはなぜですか?

摂理は失敗したのですか?

私たちは、こうした問いを問える対象(神様)がいるということが救いであり、希望なのです。

心からの誠実さをもって神様に目をむけて、問い返すことができるからなのです。

私たちに与えられた自由としての自由意志、自律性には誠実にあるべきでしょう。

神様にもっと具体的にこの世の中、この状況に介入していただくためには、私たちだけで傷口を舐めあうのではなく、自分の人生の中に神様の働きを確認し、実感する必要があります。

具体的には、再び真の父母を顕現させることを目指すことが必要であるように思います。

自分には無理とは思わず、ボランティアのようにサポートするだけでも前進は可能です。

そうすれば、シック全体の意識が押し上げていってくれることになろうかと思います。

真の父母の行いを勝者の歴史と同一してはいけません。

目立たないけれども橋の両端を支える橋台のように、私たちが堕ちるのを阻止しようとしてきたからです。

神様ご自身も歴史の中では、支えきれなくなって、瓦礫の山を築いてしまったこともありました。それでも粉々になった現場に真っ先にかけつけられ、瓦礫を組み立て直そうとされたのです。

私たちは、終末における神様の行動に過度に期待しすぎていたのかもしれません。

ですから、しばしば不安定な感情を持ち、怒りっぽいものを見せてしまいました。

神様が愛を用いて何かをするとき、それは世俗的な意味として、安定的に行われるようには見えません。

神様はいつもなお耐え忍んでおられます。それがむしろ、終末期はざわついた緊張感として伝わってきます。

現実の場面においては、神様が行動を展開していくとき、不快な部分を見なかったことにすることはありません。むしろ、抱える矛盾や葛藤、あるいは劣る面や不利益な点を常に見せてくれます。

ですから、自分も含め、他者が傷つけられている現実をきちんと感じ取ることも、神様とともにある痛みのように受け取ることができるのだと思います。

「神様は愛である」と考える第一歩は、他者や自分自身の苦しみに注意を払い、ありのままの現実を総合的に見直してみることではないでしょうか。そしてそこに価値を認めることだと思います。

私たちは、神様の単なる愛の対象にとどまる存在ではありません。その愛に応答し、神様や他者を主体的に愛することができる立場を与えられているからです。

神様が総体的に行動する中で、生じてくる現実に、私たちも積極的に参与することを許されているとも言えるでしょう。

こうした主体的価値が認められ、そうした資格もあることは、すでにシックとしては理解できることでしょう。

神様の行動の目的とその結果が、必ずしもこの世的な意味のでの幸せを増すとはかぎりません。例えば、ある大企業の会長が出世とお金を追及することは、人生において神様の愛を見つけることや神様を通してしか得られないものを見出す妨げになるかもしれないからです。

そうは言っても不幸や苦しみに、深い神様からの意味があると言われても、理性的思考だけでは、手詰まり状態を打開することは難しいでしょう。

神様の行動の目的が愛であるなら、その神様の愛と同調することが私たちが納得できる方法のような気がします。

同調する愛を考えるとき、極端な話、それが人(ヒト)に限定しなくてもよいわけです。

以前アイボという犬型ロボットが発売されたことがありました。日本人はこうしたロボットにも愛情を注げるのです

神様と同調する人間とは、「良心」を持つ人(ヒト)だと教えてくれたのはお父様です。

将来、良心回路が搭載された最新型AI(人口知能)ロボットが出現するとすれば、充分それはそれで人らしいと言えるでしょう。

ピノキオが人(ヒト)に成長していくのは決してメルヘンの世界だけではないと考えるからです。

そして、私たちも今まさに、良心を持った人(ヒト)らしさへの創造路程、愛の成長過程にいる最中なのではないでしょうか。

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