朝鮮の神話からみる国のかたちと意味

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韓国では“史実”として扱われている5000年前の朝鮮民族の始祖とされる檀君(だんくん)について、影では『誰も信じていませんよ』と冗談ぽく言います。しかし、大勢や公の場では絶対にそんな発言はしません。

これは、家庭連合(天の父母様聖会)の韓国信者が血統転換を本音では誰も信じていないのに、統一教会の秘儀としてあたかも存在しているかのように振る舞う心理に似ています。

なぜ、このようなややこしい民族なんでしょうか。(苦笑)

どうやら、かの国の始まりからしてややこしいからなんですね。今日は、建国神話からみる国のかたち、意味についてお話していきます。

古代の朝鮮半島には二つの建国神話があります。

ひとつは箕子(きし)朝鮮、もうひとつは檀君(だんくん)朝鮮の話です。

ざっくりと紹介しますね。箕子は中国史に出てくる実在の人物です。中国の殷の国が周によって滅ばされます。その時、周の武王は殷王朝では賢人であった箕子に朝鮮を治めることを許します。周の諸侯国として、ここに箕子朝鮮がはじまるわけです。

箕子は儒教の聖人と言われる人物だけあって、朝鮮の儒者には人気がありました。箕子はあの孔子が崇拝した周王朝の武王にも、王道(国を治める王者としての正道)を説いた人物だからです。孔子以上か同格とも思える彼の器量は、朝鮮が「小中華」(*註参照)を自負するにはまさにあつらえむきの人物だったのです。

建国を箕子朝鮮とすることで、朝鮮は「小中華」としての誇りをもちながら、ここから代々朝鮮王朝が儒者による文治政治を国の基本方針としていくことになります。群雄割拠による武力行使がないかわりに、権力争いが儒者の学派・党派と結合しながら、国王は党争に巻き込まれていくことにもなっていきます。

*小中華思想:朝鮮を中国の正統な儒教を継承する国とする朝鮮儒者の考え

しかし、箕子朝鮮では所詮、朝鮮建国の始まりは中国の属国のままなので、そこからは独立した国のかたちは見えてきません。国難にあっても国がまとまるためには、もっと強烈な根源的な国のかたちが必要となってきます。そこで、檀君朝鮮の神話が登場するようになります。檀君神話とは以下のような話になります。

昔、天界の桓因(かんいん:仏法の最高神)には庶子がおりました。名を桓雄(かんゆう)と言いました。天下の人々を救いたいという息子(桓雄)の願いを知って、天下の人間界を治めさせることにさせました。桓雄は従者や風、雨、雲の神を率い、太伯山(たいはくさん)の頂の神檀樹(しんだんじゅ:聖なる木)に降りて、人々の教化に努めるようになります。

人間になることを望んだ熊が化身して女になると、桓雄はその熊女(ゆうじょ)と結ばれ、檀君が誕生します。檀君は平壌(へいじょう)に都において国号を朝鮮と呼びました。のちに都は白岳山(はくがくさん)阿斯達(あしたつ)に移りましたが、1500年にわたって国を治めました。

檀君神話の天孫降臨の話は、日本建国神話の天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が、葦原中国(あしはらのなかつくに=日本)に降り(天孫降臨)、曽孫である神武(じんむ)天皇が初代天皇として即位したという話に似ています。

違うのは、その後の日本は今日まで神話からの天皇の系統が続いているのに対し、朝鮮は檀君のあとが続かなかったことです。檀君の次は殷王朝から、中国人の箕子が入ってきます。箕子は周の武王によって封ぜられ、朝鮮を治めることになったのです。この箕子朝鮮についてはすでにお話しました。檀君は箕子に国譲りをすると、山の神になってしまったというのです。ただ、寿命は一九〇八歳でしたので、ずいぶん長生きしたことになります。

神話は事実か否かで評価するものではありません。事実とかけ離れていても、なぜ人々はこのように捉え、理解したのかに注目すべきではないでしょうか。朝鮮王朝が中国の支配から脱却して、自らの理想を求める姿が心の底にあったと考えても良いでしょう。それは儒教的事大政策(大国には公然と敵対することなく、国の滅亡の危機を避けながら大国を利用しつつ、小国内の支配維持をはかっていく)によって賢明な生き方をしてきたとも言えます。

一方、小中華としての誇りを持って、中国以外の周辺国には華夷思想による差別意識、優越感があっただろうことも推測できます。ただ、日本に対しては天皇という存在がどうしても気に入らないのでしょう。民族としてどうしようもない心情(劣等感)として、中国同様に心の底にふつふつと漠然とした嫉みの感情が湧きあがっているものと思われます。

国が根底に持っている感情を超えていくには、たいへんなエネルギーが必要です。その力のもとは、権力や武力によっては得られません。事大主義による政治政策も意味をなさないでしょう。

国としての不可欠なものは天の権威であるからです。ですから、いずれの国にも神話を創作?してまでも権威づけが行われてきているのです。

そこには本来、天の権威を単なる作り話としないだけの何かを感じさせる国のかたちを造る必要があったと言えます。神話もそのことによってのみ、意味を持ってきます。

日本には戦時中も変わることなく、神話の時より続く祈りの基台があります。皇居の宮中三殿の賢所(けんしょ)を守って、平安の昔からのしきたりの中で今日まで途切れることなく、神事が昔のままの姿でいまもおこなわれています。

御本殿に御祭りする神様にお仕えする内掌典(ないしょうてん)と言われる方たちがいます。両陛下、東宮様、宮様方の御寿命御長久、御繁栄を邪心なくして謹みながら、御奉仕に一生を捧げる姿は、国民の大多数の者には見えない影の部分となります。ですがここに国のかたちはあると考えます。その意味するところは神様がおいであそばすところを一心に護る「まこと」にあるのです。

今は立春を迎え、寒さはまだ厳しい頃です。しかし、季節は着実に春へと進んでいます。春が近づいていることを教えてくれる草花を目にするとうれしいものです。私はと言えば和菓子屋さんの看板に「うぐいす餅」のお品書き見つけました。恵方巻は食べたのですが、こちらも食べたいと思っています。(笑)

三月になると桜並木があでやかに見られますね。かの国もこの国も景色がきれいなところに違いはないのですが。

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