「日本人にとって、原理とは何か」について、考えてみます。
日本的霊性と原理が日常生活において、対話し開花していくことは可能でしょうか。
日本的霊性とは何かを考えると、縄文、弥生の文化があり、
その後、古事記、日本書紀の日本人の死生観があり、
仏教伝来以後の奈良、平安仏教、禅宗、浄土宗があり、
儒学、国学、和歌、物語等々、多岐に渡る中で熟成されてきたものと考えられます。
個人に問うならば、「自分とは何か」「人生とは何か」という問いそのものと言えます。
これは、母語である日本語と同じくらい、自己と分かちがたい人生の問いと言えるでしょう。
一方において、原理とは何かを考えると、原理の日本化という問題にぶつかります。
原理が単独であるのではありません。
日本というきわめて特異な日本文化風土に捲き込まれているのです。
原理が日本的霊性と触れあって、どう変質していくのかということでしょう。
原理もまた、西洋のキリスト教とは違う韓国の土着文化とともに、
朝鮮民族の霊性的欲求にしたがい、さらには日本人へと受容されていったものです。
欧米を経由したキリスト教が、韓国文化を通して、原理として日本に根づき、
さらなる次の段階へと血肉化していくとは考えられないでしょうか。
キリスト教の日本化という問題は、すでに考察がなされています。
キリスト教は日本に根づいたのかという見方があります。
同時に、人がどう生きるのか、人生に直結する問題でもあります。
仏教はご存知のように、インドで生まれ、中国を経て日本に伝えられると、
日本の文化と歴史のなかで、日本独自の霊性として変化してきたと考えられています。
それは、人間として生きる「道」と呼ばれるものなのでしょう。
日本人が異なる文化や伝統との対話のなかで、血肉としてきたものとは何だったのでしょう。
少なくとも、キリスト教を受け入れてきた先人たち、例えば遠藤周作をみると、
産みの苦しみを味わってきたように思います。
神様との関係においても、うめきにも似た「沈黙」があったように思うからです。
日本人として、キリスト教を受容した先人たちは、
人生とは何か、生きるとは何かという問いを通して、
永遠のいのちへと分け入っていきました。
キリスト教の世界観での「いのち」に、日本的霊性としての「道」として、
どう生ききるかということが求められていったのです。
日本人は、草木、万物すべてに霊性を感じる、風の音や星の光にも耳や目を澄ますことができます。
こうした感覚は、「すべての生き物を治める」万物の霊長として、
人間であることと何ら矛盾しません。
しかし、キリスト教を受容した先人たちには限界がありました。
コロナウイルスは、私たちに「いのち」にかかわることを直面させました。
危機はまだ続くでしょう。
そして、「いのち」は外国からのミサイルという現実問題も突き付けています。
コロナにどう対応するのか、防衛問題をどうするのかということも現実に
「生きる」営みです。
しかし、先人たちにとっては、「生きるとは何か」という問いは、
人生をめぐる個々の問題への対応としての生き方ではありません。
神様との繋がり、大いなるいのちへと繋がる道への問いかけでした。
ともすれば、生活と人生が異なる次元において、
分離しているように思われてしまったのです。
夕食のおかずをつくるのに、
人生とは何かなどとは普通は考えないと思われたからです。
生活でいっぱいになりがちになります。
生活に埋もれそうなこともあります。
私たちは、原理のある人生においては、生活に埋もれずに生きていけます。
生活の中において、神様とともにあるという実感があるからです。
父母(ちち、はは)とともにいるという生活感覚があるからです。
原理の人生は、当たり前のように生活と繋がっているのです。
ちち、ははに、神様をみることが自然にできてくるのです。
原理とは何かと聞かれたら、生活原理といえるのではないでしょうか。
お父様が示された、原理が血肉となるということです。
私たちは、すでに先人たちが、うめき、苦しんできた世界を飛び越えています。
喜びとともに、生活し、万物すべてを愛する(=治める)環境圏が与えられています。
原理の生活ができる日本人シックは、何と恵まれていることでしょう。
キリスト教が韓国・朝鮮の地(血)を通して、
日本に「まことのちち・はは」を根付かせてくれたからなのです。