地上に嫉妬が無くなりつつある


先日は里山に登ってきました。快晴で見晴らしが素晴らしかったです。

頂上も好きですが、尾根づたいに次の峰まで歩くのもワクワクしますね。きっと、守護霊に修験者の方がいたのではないかと思うくらい気分が良かったですよ。(笑)

自然の偉大な浄化力に身を委ねてみるのもいいですよね。

さて今回は、ポスト家庭連合の時代に入っての嫉妬について考えてみます。

私は毎朝犬の散歩をしていますが、行く先々で新築の家を見かけます。庭も立派で車庫にある車もドイツ車という家も少なくありません。

自分の家と比較するとせめてリフォームしたいなと思います。我が家の車は屋根なしの駐車場ですから雨ざらしです。中古で買ってからすでに13万キロ走っています。今も元気で走り続けていますが外観はかなりくたびれていますね。

人間というのはどうしても比較してしまいます。ある禅僧の言葉です。「比較せずに、嫉妬心から自由になりなさい。そうすれば本当の自分が見えてくる。」

しかし、私は比べるというところまでは問題ないのではないかと思っています。

見れば自然と比べてしまいますからね。「お前の食ってるハンバーグうまそうだな。俺のアジフライと交換しないか?」みたいな感じかな。(笑)

嫉妬心(焼きもちの心)が起こるのは、比べた直後に対立的なとらわれが沸き起こるからです。AとBのふたつの事柄を絶対的存在として対立的にとらえてしまうということですね。

そこで、「ああ、いいよ。ハンバーグ半分とアジフライ半分ずつにしてお互いに味見しようぜ。」的なことで済ませればいいわけですね。(ただ、コロナ禍の今の時期はやめておいたほうがいいでしょうが。笑)

何も自分の目の前にあるものだけが絶対だと思う必要はないのだということですね。

さて、ここからもう少し本日のテーマである嫉妬心を堀りさげて考えてみましょう。

これが人間関係、特に男女の愛の関係だとどうなるかというわけです。俗にいう三角関係といいますね。三角だから三つの存在、すなわち主体と対象、そして嫉妬の相手がいますね。嫉妬は性別に関係なく、男性も持ちます。焼きもちをやきますね。

この嫉妬が無くなるなんてあり得るのだろうかということです。理論上は本然の人間であればないのでしょう。ですからポスト家庭連合の時代には嫉妬は無くなっていくだろうと考えます。

本然の人間同士の男女は恋愛関係になるのだろうか?嫉妬心がなくて、目の前にあるものだけが絶対ではないとしたらどうなのだろうか?

もちろん恋愛はするでしょうね。そして、みんなが誰も彼もが好きになるということですね。ただ、神の子として調和を優先させるのではないでしょうか。みんな好きだけど、一番好きなのは神様とあなたとわたしがバランスがとれている状態であること、かな。このへんはあらためて別の機会にお話していきたいと思います。(笑)

本日はその前に嫉妬が無くなりつつある(先天時代の遺物はやがて消滅していく)とはどういうことなのかをお話していきます。

ここで最も天宙的な嫉妬心と闘われた方に登場していただきましょう。それは私たちのお母様です。お父様に何人もお妾さんがおられる中で大へんな心情を通過されたのでしたね。みなさんもすでにご存じでしょうね。

そんなお母様が私に教えてくださいました。先日のメッセージの中にも大事なヒントがありましたね。

ーーーお母様のメッセージ引用はじめーーー

「ありがとう」という歌を聞いた。お父様が真の父母の立場で天上に行かれる前に、必ず私に言わなければならない言葉だ。

ーーー引用おわりーーー

そうであるなら、お母様自身も心の中では「ありがとう」とおっしゃっているのでしょうね。

これは想念の浄化作用のことをおっしゃっているのです。嫉妬は心のしこりです。相手との和解は想念の浄化作用でなされます。

直接相手と向き合わなくても良いのです。心の中で相手に対するだけで良いのです。

・直接相手と会わなくても良いのです。

・直接相手に謝らなくても良いのです。

・直接相手を許さなくても良いのです。

・直接相手と和解しなくても良いのです。

心の中で「○○さん、ありがとう。」と唱えるだけで良いのです。感情は変えられなくても言葉は唱えることはできますよね。

感謝の言葉のみです。そこに「謝る」とか「許す」という想念はいりませんよ。

摩擦、葛藤、反目、衝突のある相手に対して、心の中で一人一人に対して「ありがとう」と唱えていくだけです。

以上のことはお母様もお気づきでいらっしゃることでしょう。

私たちは、目の前の出来事や人々の言動、ブログ記事などの内容がどうあれ、それらのことがらが私たち自身の人生を決めるわけではないことを知っています。

何が起こっているかが私の人生を決めるのではありません。その出来事を自分自身がどう解釈するかで人生が分かれていくのです。

人生の「不運に見える出来事、好ましくない言動」も、正反対の意味に私たちは陽転させる(プラスに変える)ことができます。

それが想念の浄化力です。心の結ぼれ(むすぼれ=心のしこり)のある相手に対して「ありがとう」と心の中で唱えるだけで良いのです。

私たちは想念の浄化力(「ありがとう」の浄化力)で、嫉妬心を無くしていくことができる力(心)をすでに授かっています。こうしたことが簡単にできる時代圏になったのですね。

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