お父様は生前、すべてをなしたとおっしゃったそうですね。
わたしは、どうもお父様も負け惜しみが強いので、
そうおっしゃったのだと理解していました。
そう簡単に、すべてが成せるはずもないからです。
最近、そうではないように思うようになりました。
なすを成すと解釈してはダメですね。
なすは為すでしょう。
やるべきことは、すべてやったという心境が
「すべてをなした」ではないでしょうか。
「何を成したかじゃない、何を成そうとしたか」
「そのために、どう為したかが大事なんだ」
ということのように解釈します。
こう考えると、少し、気が楽になりました。
み旨も面白がって、やらないとつまらないですね。
せっぱつまって、もうアカン。
人生行き止まり。
そう感じたとき
「とりあえず、お茶にシヨ(羊羹は厚く切ってネ、笑)」
「ボチボチいこか」も
み旨の抜け道になりそうなセリフかな。(笑)
人生最後の日は、朝日を拝みながら、
「すべてをなした」と言いたいものです。