週に一度の放浪


 

歩いていると、さまざまな感情が湧いてくる。

抱えているみ旨に関する課題が細心の注意を要すること、つまらない職場の人間関係の問題など、歩くことで頭の中がすっきりする。

 

現代の文化は頭が不平不満を生み出していることに気づいていない。すべての知恵の源であるかのように勘違いしている。

 

ネイティブアメリカンはビジョン(あるべき姿)を求めてさまよい歩く。オーストラリアの先住民族アボリジニは放浪の旅をする。

東洋においては、座禅によって、同じ世界(唯識の世界)を体得してきた。

 

そして、第四イスラエル民族は毎朝瞑想し、一週間に少なくとも20分間ウォーキングをする。(笑)

 

一週間に一度は、放浪してみよう。(笑)

 

お気に入りのソックスと靴を履き、20分間、散歩に出かけよう。公園でもいいし、田舎道でもいい。もちろん、街中を歩いてもいい。どこを歩くかではなく、歩くこと(放浪すること)が重要だ。

 

自分の心が余計なエネルギーを使わないと感じられる境地が得られたら、新たな気持ちで、み旨に取り組む意欲が湧いてくるだろう。

 

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真の父母


“週に一度の放浪” への2件のフィードバック

  1. おやじのアバター
    おやじ

    お久しぶりです。お元気そうで何よりです。

    >お気に入りのソックスと靴を履き、20分間、散歩に出かけよう。公園でもいいし、田舎道でもいい。もちろん、街中を歩いてもいい。どこを歩くかではなく、歩くこと(放浪すること)が重要だ。

    確か、禅の修行に無心になってひたすら歩くという行がありますね。一種の瞑想だとか言いますが。

    ダムさんにそう言われてみれば、これまで私も無意識の内に、歩く瞑想をやっていました。主に街中ですが。

    1. goodlifeのアバター
      goodlife

      コメントありがとうございます。

      同じ感覚をお持ちの方がおられてうれしく思います。
      最近は座っての瞑想より、歩いての瞑想のほうがクリアな感じがしています。
      確かに禅の修行にありますね。

      ただ、適度なバランスは大切でしょうが。笑

      これからもよろしくお願いします。

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