神社に見られる鳥居は、神と人間が住む世界を区別する、神域への入口を示す門ですね。
最近、映画のDVDを借りてきて観ていましたら、鳥居を背にして、写真を撮るシーンが出てきました。パワースポット巡りと言って、寺院や神社巡りには以前から人気があったようです。鳥居の前での記念写真は何ら不思議な光景ではありませんね。
ただ、人間は、神の宮と言われますよね。
そうなると、人間のどこかにも鳥居らしきものがあるのかもしれません。いったい、心の世界に結界の境がどこにあるのか?ふとそう、思ったのです。
先回、こころの声を聴くというお話をしましたが、天啓(てんけい=おつげ)は過去の聖者たちも耳にしたものです。そのとき、自分自身は、神の宮として、神域に入っていたということでしょうか。ではその入り口は何かということになりましょう。
日本人は和の心を大切にしますね、ではこの和の心は、神の住む天国なのでしょうか。
もし、仮にそうだとしたら、そこに向かって通じる道が神道(しんとう)なのかもしれません。愛の道と言ってもよかったでしょう。
その道には聖域を区別すべく、鳥居があって、関門であったのではないでしょうか。
その境界には常に恨みだったり、怒りだったりが渦巻いているのではないでしょうか。そして、もちろん、愛自体も一緒になって、その渦の中に激しく、吹き荒れているようにも見えます。そんなことをふと思ったしだいです。