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血統と性、気持ち良いセックスしたいな(爆)3

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ゴールデンウイークの後半、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

私は剥げかけていた(頭ではありませんよ)、郵便ポストをピュアグリーン色に塗りかえてみました。家内には残念ながら不評でしたが。(笑)

それではシリーズの3回目です。今回が最終回となります。

 

原罪があることも、そこから解放されたことも自己申告

私たちに原罪があるか、ないかについての議論があります。

アボジはじめ、お母様について、ご子女様について、私たちシック、祝福家庭について、さらには人類全体においても、あるとか、ないとか。(笑)

 

果たしてどうなんでしょうか。(笑)

原罪があるかないかは、本人の心(良心)が決めればよいというのが私の結論です。

原罪があることも自己申告ですし、その原罪から解放されたこともまた自己申告なのです。

 

他人からはわからないことなのです。

自分の良心のみが知っているのです。

ただ、原罪から解放された者(あるいは原罪がない者)どうしでは共有する感覚は確かにあるのです。ある一定のレベルを超えて判り合える気がします。(笑)

 

師観先輩はこうおっしゃっています。

『正午定着とよくも言ったものだと思います。神が100%自分の中に居てくださる実感がするのです。』

 

私もまさに、アージュなのであります。(笑)

 

私の場合はアボジとは一期一会でした

私はアボジとは一対一で直接にお会いすることはありませんでした。ですから、直接の会話を通して、血統転換(原罪清算)をする機会はありませんでした。

末端信徒はみなそうでしょう。(笑)

 

だから救われないのかというと意外にもそうではないのです。(笑)

末端信徒の私も原罪は無くなったわけですから。(笑)⇐ココはわらうところではないのでしょうが。

 

末端の信徒たちも「聖霊の役事」によって、救い(原罪清算=神様の血統)につながることが可能です。以下に私の経験した「聖霊の役事」のお話をしていきます。

 

私は祝福(マッチング)の時にアボジにごあいさつをした際、お顔を拝見しただけで直接の会話はしていません。ジャルジン等の修練会その他でもありません。

そもそも修練会には参加していなかったかな。(笑)

 

私がそのように祈ったからです。

「私は一度お会いしただけで充分愛されました。あとはこれから来る幼い兄弟姉妹たちを愛してあげてください。」と祈ったのです。

 

ですから、夢にさえも現れません。(笑)

もし、お会いしていたら、多くの先輩諸氏のように、会話のやりとり(動機のやりとり=”私”の完成摂理)の中で動機の転換(血統転換)を失敗していたことでしょう。(苦笑)

 

しかし、一度だけ、数百万の借金(献金のためです、返済は教会がする約束でした)をかかえて、もう限界に来ていた時に何を血迷ったか、私にある思いが涌き起こりました。そしてその直後にアボジとお会いすることになったのです。(笑)

 

その時の私の精神状態は以下のようでした。

「このままでは路頭に迷うだろう、でもはっきりさせよう。神様が望むならさらに目いっぱい(ブラックリストにも載りました、笑)借金して献金しよう。そしてこのまま私が教会を去ればよいのだ。借金は私が返済すればよいのだ。」

「神様のためにと思ってやってきたがその思い(動機)だけは貫こう。もともとは裸で生まれたのだ。たとえこのまま、丸裸になって死んでもいいだろう。」

 

私は教会に入教するときに、神様から「教会に献身しても苦労ばかりで、何も楽しいことはないよ。」と教えられていたのです。ですから、その時から覚悟はできていたように思います。(苦笑)

それに私自身は、もともと男女を問わず裸は好きなほうでしたから、借金で丸裸になることに抵抗はなかったのかもしれません。(爆)

 

私の前にアボジの幻が現れ、「勝利した息子よ。」とおっしゃられました。

これがアボジとの一期一会でした。

 

この時アボジはまだご存命中でした。もちろん借金については一言もお話はありませんでした。そのままです。(笑)

幻はそれ以来現れませんでした。実にあっさりしたものです。(笑)

 

結局、借金は本業といくつかのバイトを掛け持ち、父親や家内の姉の応援もあって数年かけて返済できました。(苦笑)

 

アボジは嫌いだけど、やっぱりアボジ=父かな。(笑)

一番驚いたのは、「性欲のとなりの不快な隣人」がその日を境にパッタリいなくなったことです。

スパっと縁が切れました。

これをアボジのみ言では、「サタン血統根絶」と言うのだそうです。

まさにこのみ言は私の実感にピッタリでした。その時の私の心に深く突き刺さりました。(笑)

 

おかげでサタンの血統(動機)から解放(根絶)されました。

さらに付録もついて、周りとの信頼関係も借金のため根絶されちゃいましたが。(爆)

 

多くの兄弟姉妹が借金をして苦境に立たされています。

今考えてみると、その時(限界の時や苦境の時)にいかに動機を神様に向けたかどうかで血統転換(心情転換、動機の転換)ができることがわかりました。

 

借金はアボジが関わるものでなければいけませんが、使途はまったく関係ありません。韓国の公金泥棒たちにあげたものでも、ドブに捨てるムダ金でもよいのです。(笑)

また、苦境に立たされるという状況は、借金問題だけでなくても良いのです。

例えば、二世や相対者の障害や病気でも、事故でも、教会からの除名処分でも、霊感商法で牢屋にぶち込まれるでも、何でも良いのです。(苦笑)

 

ただし、動機は神様のものとして、どこまでも私心があってはいけません。これが重要なのです。

 

大事なことは、アボジとの関わりの中で苦境に立たされた時、神様を思う動機で対応できたかどうかだけです。これが血統転換(心情転換)できるチャンスなのです。

 

苦境に立つこと自体、そのような人は世の中では大勢います。そうした人たちも苦境を感謝していくと、間違いなく善霊が助けてくださいます。その後には大きな成功や援助を手にすることも可能です。これは一般社会にある成功法則(哲学)ですが、真実でしょう。

 

しかし、血統は変わりません。

アボジとの関わりがないため、神様の血統には繋がりません。

 

実に不思議な話なのですが、根絶はできないのです。

「成功の横には不快な隣人」が静かにずっと居座りつづけているのです。

 

私が一期一会でアボジと幻でお会いしたことは、後から思えば精神的に混乱していたため、幻覚を見たとも言えます。(笑)

 

しかし、心の変化、動機が転換したことだけは、自分にウソをつくことはできません。これが師観先輩がおっしゃる「実存的救い」なのだと思います。

 

私はアボジが好きではありません。どちらかと言えば嫌いです。(苦笑)

なぜなら、人格的に破綻しているように思うからです。(アボジ、ごめんなさい、汗)

 

しかし、メシア(救い主)かどうかと考えれば、間違いなく救われた感覚(サタンの讒訴圏から抜け出したという解放感と自由)はあるのです。(笑)

切っ掛けをアボジが与えてくださったということは事実なのです。

 

師観先輩もおっしゃっています。

「賛成できるものがあります。それは血統転換です。そしてこれがアボジの専門分野なのです。それだけで十分なメシアです。」

 

私もまさに、アージュなのであります。(笑)

ですから、私にとっては嫌いでもアボジは「アボジ=父」なのです。(笑)

 

(末端シックのための)聖霊の役事と教会の崩壊

「聖霊の役事」はお母様と複数のお妾さんたちが勝利された土台の上に、私たちにその勝利圏があたえられたものです。

 

アボジと教会幹部との直接会話による血統転換(原罪清算)の摂理が失敗すると、末端信者との血統転換(原罪清算)へと摂理が大きく移っていきます。

これが表向きは霊感商法となりますが、背後は「聖霊の役事」という内容であったのです。

 

神様はお金を受け取るのではなく、動機を受け取りたかったのです。

末端信者のための「聖霊の役事」の摂理も、ほとんどのシックは心情(動機)を失って失敗していきました。

 

こうした経緯は今回は省略しますが、末端シックまで失敗することによって、教会はその奥の奥、すなわち真の家庭まで腐敗の思いに浸食尽くされていくことになるのです。

 

「聖霊の役事」とは特別な精神状態を指します。

簡単に言えば、理性的にはアホ状態ですね。(笑)

 

裸で野垂れ死にしても、師観先輩のヤマギシズムではないですが、「よかったね」、「ほんとうにそだね~」の精神状態は尋常な状態ではありません。(笑)

 

マリヤがいいなずけとは別の方法で受精する(イエスを身ごもる)時の精神状態を想像してみてください。

タマルが義父を誘惑して、一緒の床に入るときの精神状態を考えてみてください。

尋常ではないでしょう。まさにアホ状態です。(笑)

 

こうしたアホの精神状態に入ることを「聖霊の役事」というのだそうです。これはアボジのお妾さんから教えていただきました。(笑)

お妾さんが嫉妬からではなく、本妻さん以上に本気で愛する世界なんだそうです。お妾さんは本妻さんと違って、何も持っていません。捨てられても文句が言えない立場です。

神様への愛(という動機)のみで生きるのです。

私は本妻にも妾にもなったことがありません。しかし、妙に納得できました。(笑)

 

「聖霊の役事」による精神状態から、サタン血統根絶を一度乗り越えてしまえば、二度とする必要はありません。マリヤがイエス様をさらにもうひとり産む必要がないのと同じです。

 

アボジはこの役事について、私がサタンと決別(サタン血統根絶)する時には「父母と自分自身で乗り越えて行くんだよ」と主体的責任が大切なこともていねいに教えてくださいました。

自分の良心をとことん追い込んで限界がきても、そこからさらに追い込んでいくみたいな感じかなと私は理解しています。(笑)

 

原罪清算後の血統と性について

「聖霊の役事」を通して、神様の血統に繋がると、次の段階に上がるための思いが自然と起こってきます。サタンによって塞がれていた心の奥にある開かずの扉がようやく開いて、向こうから何者かがやってくる感じです。(笑)

 

それが私の場合には「シックは夫婦で気持ち良くセックスしよう」なのです。(爆)

なぜ、こうなっちゃうのか?(笑)

良心(本心)がこのように思うので仕方ありません。

たぶん、神様が気持ち良いセックスをしたいのでしょう。(爆)

 

師観先輩は、原罪清算後の心構えについてこうおっしゃっています。

『「原罪清算の意味」についてはそれが人格完成に貢献しないとあまり意味が無いということです。』

『重要なのは原罪があるかないかではなく、人格を完成または完熟しているかどうかなのです。』

『これからは神よりも偉大な良心を中心とした価値観で教会の方向性を転換することです。これが我等が目指す方向性でしょう。』

『神のみ旨をなそうとして邁進している姿が大切なのです。だから、「私もメシアになろうとしているし、あなた方もメシアに成らなければならない」』

 

原罪清算が意味がないとか、しなくてもよいととらえるのは早計です。

本人が原罪があるとかないとかにこだわらない、祝福をうけたとか、うけないとかにもこだわらない、人格の完熟、完成を目指しながら、神様のみ旨を邁進するということ、こうした心の境地に立っていることが、すでに新しいステージに立っていることを物語っています。

本然の状態は堕落とは無縁の次元に心が移っていることを意味しています。

 

「平凡なままが実は神聖と同じである」という禅の世界にも似た境地なのでしょう。

 

私が今回お話した「夫婦で気持ちの良いセックスをしよう」ということも、極めてごく当たり前のことに過ぎない平凡なことなのですから。(笑)

 

一般社会でも人格者は大勢見かけます。また夫婦仲も良く、健全な夫婦生活をしているカップルも大勢います。

 

ただ、男女がセックスの時、感じるその思いに聖なる感覚を感じているかはまた別の次元であるように思います。(笑)

 

ささいな日常の平凡な生活の中に、気持ちの良さが聖なる感覚に繋がるということが新しい神様の時代を創造する一歩でもあるようにも思います。(笑)

 

そんな可能性(血統と性の)を持っている私たちであることに気づいてほしいと思います。(笑)

 

今からでも充分間に合う血統(動機)の転換

師観先輩も私も、原罪について青年の頃から悩んできました。そして私はそれが「性欲という隠れ蓑に隠された、自己中心の思い」だったことに気が付きました。

 

師観先輩も私もそうした思いをそれぞれの立場と境遇は違えども断ち切りました。断ち切ったのは性欲ではありません。あくまでも性欲のあとに続く不快な思いです。(笑)

 

そして、断ち切ったその現場にはアボジという共通の存在がいたのです。

師観先輩は、さらに性愛を主管し、性が神の聖なる儀式であることを実感したのです。

私も夫婦で気持ち良いセックスを楽しみたいと願っています。

 

そして師観先輩は誰もが人格の完成を目指し、メシア(氏族メシア)になれるとお話されています。(笑)

私も「真の父母になろう」、「誰もが真の父母になれる」とお伝えしています。(笑)

 

これは、すでに原罪とか祝福とかを超えている次元での話の内容です。

こだわらないことがすでに、神様の心情圏内に入っているのです。

ここから一気に神様のもとへ上昇していくわけです。(笑)

 

師観先輩のブログより

『ここで最も大切なことは、統一家の子女だけでなく、各々の祝福家庭が祝福できるということです。そのことによって人類はあたかも鼠算式に祝福を受けて原罪を脱いで行く速さが増して行けるのです。』

『人格完成出来るかどうかは個々人の努力次第と言うことになります。さらに、大切なことは創造本然の神と人間の状態を取り戻すことです。』

『人格完成とは、自分が完成したなどと思わないことです。むしろ、まだまだだと思って、精進に励むことです。そして、完成を目指して歩む過程において、【一挙手一投足】が神と共にあるという実感が最も大切です。そうすれば、私を見た者は神を見た者なり、と自他共に言える様になれるでしよう。』

 

今ままで教会は原罪からの脱出のために弊害を覚悟で、社会的信頼、信者どうしの信頼を失いながら歩んできました。ここに来て真の父母の基台さえも失いつつあります。

 

すでに多くの信者の心は深く傷ついて離れていきました。

 

何かを間違えたと感じている信者(シック)も多いことでしょう。

アボジやオモニのせい、子女様のせいとすることは簡単です。もちろん、先駆けて歩んできた先輩やお弟子さんたち、祝福家庭、根性曲がりな一部のシックのせいにすることも簡単です。

 

さらに、サタンのせいだとしてみましょうか?

これは神様のせいにすること以上に難しいのです。それは、サタンが讒訴することと同じ動機になるからです。

 

何を間違えているのか?

それは自分の心の中の血統を間違えているのです。動機を間違えているのです。

今からでも、血統である動機を神様から出発させれば良いのです。

まだ、聖和するには充分時間があります。間に合います。(苦笑)

 

そのために、「気持ちの良いセックスをしよう」を公言し、性の概念を神様の願いに沿ったものに代えていくようにしたいものです。(笑)

 

最後に(義憤に代えて、希望を唱えましょう)

サタンの血統を根絶しましょう。

この記事をお読みの皆さん(祝福家庭、シック)にはサタン血統根絶が簡単にできます。

私や一世、壮年壮婦のように借金をする必要はもうありません。師観先輩のように片腕を捧げ、クズ呼ばわりされる必要もありません。(苦笑)

 

今感じているご自分の思いだけをただ変えればよいのです。(笑)

 

教会、家庭連合を「恨んでいる自分自身」を忘れましょう。

真の家庭、子女様の誰かを「不信し、憎む自分自身」を捨てましょう。

お母様を「許せる自分自身」を発見しましょう。

 

アボジは嫌いでもかまいません。(苦笑)

ただし、神様はしっかりと自分の心に住まわせましょう。(笑)

 

そして「義憤だ、義憤だ、義憤だ」と3回も言わずに日々を過ごしてみてはいかがでしょうか?(苦笑)

代わりに今からは「希望だ、希望だ、希望だ」と3回唱えてみてはいかがでしょう。(笑)

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

*今回のシリーズでは、師観先輩のブログよりたくさんの記事を引用させていただきました。師観先輩にはこの場をかりてお礼申し上げます。

 

 

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