アメリカ的リーダーは宿命的に銃を手放せない
顕進様は強力なアメリカ的リーダーであることは間違いありません。神様の絶対的権威としての長男であることを主張され、家庭平和協会による平和運動を力強く推進されています。
亨進様も父君から受け継ぐ王冠を示され、サンクチュアリ教会で宗教的リーダーとして活躍されています。
神の国建設の過渡期においては強力なリーダーが必要であることは理解はできますが、そうしたリーダーはやがては権威主義に結びついていきます。リーダー本人の問題というよりも、周りから押し上げられ、たてまつられてしまうからです。
一方、人間の心の成長過程からみると、神様を受肉したということは、良心に神様を迎えたのであり、さらには肉心が聖霊に満たされたことに他なりません。そうした心の状態には、争いがありません。
今の顕進様、亨進様にそうした状態を望むことは難しいでしょう。お二人には軍事力と国家エゴが主導するこの世界(社会)に警鐘を鳴らす警察官や宗教家としての使命があるからです。
あたかも世界の警察としてのリーダー役を担うアメリカ国家のようです。そのアメリカのキリスト教の内実は、歴史的宿命的に銃を手放せません。戦争に巻き込まれるようになっています。構造的にも大統領の背後には軍需産業複合体が付いています。
そして、亨進様の背後にも国進様(銃器製造オーナー)が影のリーダーとしておられます。
今後も顕進様、亨進様は、ワイルドに野武士としての闘いをされていくものと思われます。
リーダーを超える真の父母
しかし、すでに申しましたように、日本の武士階級にキリスト教が入っても大衆化できなかったように、宗教としての使命だけでは次の段階(闘いのない世界)へは進んではいけません。さらには「真の父母」を示さない平和運動では、人々の心を「境界のない世界」へ飛躍させることは難しいでしょう。
そこにはアメリカ的リーダー、宗教的リーダーを越える「真の父母」の存在が絶対必要となってきます。
私は、顕進様も亨進様も、「真の父母」として立たれたときが、人類の希望となるときだと考えています。もちろん、私たちもその前後で、「真の父母」として立つことが神様から願われています。
「真の父母」は宗教的指導者ではありません。もちろん、臣下に対する王や王女でもありません。強力なリーダーとも違い、別次元の存在です。
「真の父母」は、あくまでも父母でしかありません。しかし、それは真を持つ父母として、根源的な愛の源として存在します。ここが、人類に先駆けて「真の父母」を示され、方向づけをしてくださったお父様のすごいところです。
真の父母と私たちのモデルとなる「象徴的国家的真の父母制」
では「真の父母」をどのように具体的にイメージすれば良いのでしょうか。
もちろん家庭連合では文先生ご夫妻と答えるでしょう。あるいは、将来的には顕進様ご夫妻、亨進様ご夫妻と考えても良いでしょう。
しかし、現時点ではこうしたモデルケースは少数派としてしか受け入れられないでしょう。日本人全体、あるいは世界全体としてはわかりにくいのです。
家庭連合は、組織内や身内で争って、むしろ許しあい調和することの難さの見本のようになってしまっています。それゆえ、多くの国民の人々からは受け入れにくいと言えます。
そこで、神様がモデルとして示してくださっているのが日本の天皇制だと思っています。現在、国家としてのモデルを持っているのは日本の国以外にはないのではないでしょうか。
アメリカも韓国もほとんどの国は、共和制です。これは国家としての父母が顕現していない国とも考えられます。
もちろん、日本の天皇制はあくまでも外的、象徴的なもので、憲法では日本国の象徴として位置づけをされています。
日本人の多くは、天皇、天皇家、皇族を心の支えとしてリスペクトしています。
ですから日本の天皇制は、「象徴的国家的真の父母制」と考えても良いと思います。
個人的には日本の天皇制は、「真の父母」という観点で捉えなおしても良いのではないかと思います。国家を背景に持つ真の父母のモデルケースが現在、世界のどこにもないと言えるからです。
「真の父母」の家庭版モデルケースを世界に示す
日本はすでに国家としての象徴的な真の父母の形があるのですから、あとは国民の意識を整えて引き上げていくことを考えれば、日本が「真の父母」の家庭版モデルケースを世界に示していくことも今後は可能であるように思います。
象徴的国家的真の父母制を日本の天皇制とすることに、宗教的、キリスト教的に拒絶する方々もいらっしゃるでしょうから、その方たちにとってはローマ教皇でも良いでしょうし、各国の王室をモデルとしても良いかとも思います。
もちろん、文先生ご夫妻、顕進様ご夫妻、亨進様ご夫妻でも良いでしょう。要は、如何に神様と家庭的な真の父母とを結びつけるか(大衆化)が大切なことだと思われます。
ただ、独裁国家の指導者や、民主主義制度のない国においては民意が歪められていますから論外ですが。
家庭の中に見出す「内なる絶対的な家族制」の確立
家庭連合(統一教会)が示した「真の父母」を国家次元まで見つめながら、最終的に家庭内に見出していくにはどうしたらよいのでしょうか。
象徴的国家的なものとしては、日本の天皇制にあるのではないかというお話をしました。
日本にはリスペクトされる象徴的父母の存在(天皇制)があるからです。
もちろん、天皇を現人神として戴くという時代に逆行することを主張しているのではありません。
すでに、今日のキリスト教会と家庭連合が越えられなかった人物信仰や教会の長たちによる信者へのミスリードについての弊害は前半の記事で、二つの躓きとしてお話しました。
どんな人物も神様として崇拝してしまうと、キリスト教(的愛)がそうであったように一般の人たちに浸透していきません。
当然日本の天皇陛下に対しても、人物崇拝をする必要はありません。天皇陛下は神様ではありません。国家の指導者が天皇を担ぎ上げて、かつてのように国の方向をミスリードすることはあってはなりません。
あくまでも闘いのない心の平安を求めて、その心の成長に沿った神様の希望に応えていくための「真の父母」を提示していけたら良いと思っています。
こう考えてみると、日本に希望の光は今も差し続けていることがわかります。
リスペクトされる天皇制を一般化、大衆化していくことを考えてみます。
すなわち、私たちの「内なる家族的父母的天皇制度」の確立です。「真の父母」を戴く家族単位の天国基盤(内なる絶対的な家族制)です。
象徴的モデル(これは人によってそれぞれ違ってもよいのですが)を自らの家庭内に実体化(心情関係の絆を築く)させていくのです。
これを日本全国津々浦々に浸透させていくことを考えてみてはいかがでしょうか。
皇族圏の確立
私(たち)は、家庭連合やキリスト教のために殉教する必要はありません。
家族のために生きていくべきなのです。こうした点ではきわめて仏教的在家信仰となりますが。(汗)
家庭内寺院(仏壇)、家庭内神社(神棚)、家庭内教会(チャペル)ということを申し上げているのです。もちろん、形は自由に、むしろ中身の心の在り方について考えていく必要があります。
こうした家族要員の根本要素は、神様の皇族圏、すなわち神様の子女としての一人ひとりの自由な存在が確立してのことになります。
皇族の辞書的な意味は天皇家の家族、一族を指します。しかし、み言の皇族、皇族圏は心の成熟した神様の子女としてのキリスト教的兄弟姉妹の愛を超えたところに創られる家族間の愛の意識圏です。
父母の愛、夫婦の愛、子女の愛、兄弟姉妹の愛の相互循環サイクル(授受作用)を持つ家庭基盤を指します。
これを私(たち)の家庭内に実現させていきます。
皇族圏とは新しい在家(家庭内)に神様を迎えて住む世界です
仏教では私たちが行き着くところは、お釈迦様の弟子止まりです。家庭内寺院(仏壇)では弟子から神様の子女という次元に上ります。自然と仏教の次元を越えていくことになりますので宗教を超えていくことになります。
さらに私たち日本人は神道的天皇制を持っています。ですから家庭内神社(神棚)を持つことも可能です。
しかも、平和憲法(第9条)まで持っています。
国家が戦争放棄を宣言しています。日本国民でこの条項に反対する人は少ないはずです。今、議論されている憲法改正の問題もこの9条が国際間における現実と合わない部分があるからですが、実はこれはきわめてキリスト教的な絶対的平和主義の内容ともいえるものなのです。
家庭内キリスト教的チャペルもホームチャーチ、氏族教会の理想と通じるものです。宗教組織的教会は必要ありません。今後の家庭連合には在家(家庭)に神様を内在化させていくことを優先させる方向を願っています。
神様が内在化した家庭が皇族としての私(たち)の住む世界(皇族圏)となります。
まとめと今後の課題(日本人への第四イスラエル選民としての神様の期待)
武士道精神を示すと言われる葉隠には、「武士道とは死ぬことと見つけたり」とあります。日本のキリスト教精神の土台のひとつとなりました。そして、キリスト者の先人たちは死ぬほどのがんばりを示してくださいました。そのおかげで、今も日本人は神様の期待を受け続けています。
西欧のキリスト教も殉教をひとつの信仰のバロメーターにして、全世界に広がっていくことができました。
そしてここに至って、現在の家庭連合およびキリスト教は、国家のエゴと軍事力を前にして限界を迎えたのです。
そうした中で、私(たち)は、その限界を超えて、宗教でもなく、平和運動でもない、別の観点から、「真の父母」を宣言しながら、家庭天国基盤(ホームチャーチ)、家庭寺院(仏壇)、家庭神社(神棚)、家庭チャペルを整えていきたいものだと考えます。
そこは皇族(神様の子女)の住む皇族圏(家庭天国)となります。
世界中でそのような環境が国家的にも国民の意識的にも準備されているのは日本と日本人以外にはないように思えてなりません。
今後の課題としては、死んでもなお、皇族圏を守護する「真の祖父母」として生き続けるという希望を今後提示していく必要もあるように思います。これについてはさらに研鑽をして、明らかにしていく必要があることを自覚しているところです。
そして何よりも、神様の愛と第四イスラエル選民としての期待が日本および日本人に注がれていることを感じています。これからも希望を持ってまいりましょう。
ひとまずここで、ひと区切りといたします。
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