元日から能登半島の地震で正月の気分もどこかに吹き飛びました。
まずは亡くなった方々のご冥福を心よりお祈りします。
そして、被災者の方々の一日も早い復興を願っています。
先日、地元の教会より支援物資の要請があり、さっそく食料など届けました。
近日中に岐阜まわりで金沢教会に届けるのだそうです。
日本人は、日の出や何百年も生きてきた大木に注連縄(しめなわ)を張り、手を合わせ、何かを感じてきました。
何かを抱いている感覚は、太古からそのまま日本人の心の奥深く刷り込まれているのでしょう。
人は自然な老い方、死に方ができればよいのですが、突然の災害で亡くなるということも事実です。
今回の地震で再認識しました。
ある年齢を超えると、「死というもの」、「次の世界」を日常生活の中に強く感じるようになります。
その何かを感じたからかもしれません。
家内と伊勢に参拝に行ってきました。
神宮では世界と日本の平和と繁栄を祈ってきました。
キリスト教の神は創造もするが、破壊もします。
今日の世界の紛争の根底には一神教の争いがあり、破壊し合っています。
自然の摂理も時には破壊もします。
しかし、日本人は破壊から、再生・再創造という意識を持てる民族だと思います。
伊勢神宮の式年遷宮は、約1300年の長きにわたり繰り返し行われ、古いものをいったん壊して新しいものを生み出しています。
破壊されても復興する象徴のようにも感じます。
単に建物外見ばかりではなく、日本人にとっての心の感覚も新しく生みなおされていくのでしょう。
生と死をも厳密に分けない、「見えない世界」への畏敬の念を生み出していくことになお一層つながればよいと感じます。
日本人は死者に対して、冥界・あの世の幸せ(福)を祈ることができます。
ですから「ご冥福をお祈りします」というのでしょう。
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