宇宙が無数に存在するなら、行きたい霊界も無数にあっていいんじゃない?

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最先端の科学では、私たちの生きている宇宙は、無数ある宇宙のひとつにすぎないらしい。

もちろん、仮設ではあるのだがこの理論の真偽は、今あるこの宇宙では確かめようがない。

私はこれって、霊界と同じだな、と思ってしまいました。

我々が生きているこの世から確かめようがないからね。(笑)

以前、このブログ村で文先生が地獄にいるとか、いないとかという話題がありましたよね。

これも確かめようがない話で、だからどうしたということにはなるんですが。(笑)

気になったので(私の感覚とは違ったので)少し考えてみました。

やがて霊界もその人が思う数だけ無数にあるのかも知れないと思うようになりました。

思う人(=想像する、感じる、悟る、霊視する人)と思われる人(対象となる人、故人)の間に、ある種のエネルギー空間(場)ができますのでそのエネルギーの場が二者の持つエネルギーの合成になってひとつの世界が見えてくるのではないでしょうか。

文先生が地獄にいると思われる方は、ご自身もそうした負のエネルギーを持っているか、または捉えているのだろうと思われます。実際にそうした霊界を作っているのだと思います。

私が文先生のことを思ってみると、地獄に留まらず、霊界の層(何層もあるようだ)を縦横無尽に飛んで(羽は生えてはいないが高速で移動して)おられます。(笑)

善悪を超えて相手を受け入れてみると、天国に近づく心の場ができあがります。

亡くなった人は知覚的にはもはや知ることはできません。でも亡くなった人と何らかの繋がりがあれば、その繋がり(関係性)が相手にも影響を与えていきます。

霊界も宇宙と同じようにユニバース(単一)ではなく、人が思い描いて作りだす数ほど、マルチ(多数)に存在するのかもしれません。

そう考えると、私たちは天国を創建するとは言ってきましたが、まずは善悪を超えて相手を受け入れる心を手に入れてみてはどうでしょう。

そうしたエネルギーの場として死後の世界を構築していくことは可能ではないかと思います。

天国とは他者との関係の間にしか築けないものです。

最近、友情についての話題もありましたね。夫婦の間、親子の間、兄弟姉妹の間、さらには隣人との間に「友情」という心情(仲間意識)が必要という話でしたね。

最近の米中関係をみると、もともと信用できない敵同士という考えですからとてもこの両者の友情は難しいですね。(苦笑)

でも国(政治)レベルでの話ですから、人間と人間の間においてはアメリカ人と中国人の間の友情はあり得るでしょう。そういう意味でも人間同士、さらにはそこから家庭同士による交流は地道でも進めていくのがいいでしょう。

もちろん、理想と現実は違うよという見方は、今の社会での大人の考え方でしょう。しかし、理想を掲げてそれに実直に取り組む人たちがいても良いと思います。

善悪を超えてという話をしましたが、嫌いな人や国があっても構いません。善悪という価値観は人によっても国によってもまちまちで相対的ですから。

自らの価値観に照らして、相手(の国)は間違っていると思ってもいいのです。しかし、もともとは仲間であるという共同体感覚は捨ててはいけないと思います。

この感覚は、信仰では得られません。信仰を超えた実体感覚の中で感じるものです。

しかし、信仰の世界でも相手のことを思う、汝の敵を愛するという教え(教育)がありますね。ですから、政治活動の前に教育は必要です。

これからは、信仰というよりは心の教育を忘れてはいけないと思います。相手(の国)との関係性の中に自分も相手(国)も生かされているという認識を持つことの大切さを教えていくことが重要です。

私たちはこれまで、ずっと信仰の訓練をし、み言を学び、愛する教育を受けてきました。

今一度、人類全体が病んでいることを自覚して、対症療法ではなく、全体の生命力を回復させることに専念していくことができると思っています。

難しいことをする必要はありません。自らの良心に語りかけながら、その時々の会話を大切にして、これからの残りの人生をさらに深い世界へと体験(情的感性とエネルギー場)を広げていったらよいのではないかと思っています。

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