(シュルツミューゼアムのサイトより)
二十年も前に新聞から切り抜きしたコラム記事を読みなおしてみました。
実に深いと考えさせられます。
そこには、「人(私)はなぜこの世にいるの?」というサリーの宿題の話が出てきます。
このサリーちゃんとは小学生です。世界的に有名なチャーリー・ブラウンの妹さんですね。
さて、このサリーちゃんに出された学校の宿題を、兄のチャーリーに尋ねます。
テレビ番組に夢中なチャーリーはあっさりと答えます。
「分かりっこないだろ?」
思ったより簡単だったとサリーはけれんみなく、
「そんなこと分かりっこない」とノートに一行書いて宿題は終了。
「人がこの世に在る意味なんて、分かりっこない」という平凡な答えの持ち主は、
人生の無難さ、そして一方では省力化・手抜きだと悟っているようですね。
人生を早くも老成しているといった感じでしょうか。
こんな内容の記事でした。
(ハワード・ローリーのオークションサイトより
存在論の問いは、「永遠の問い」、「答えのない問い」とも言われています。
ではなぜ、私たちはこの問いを問い続けるのでしょうか。
否、私は問い続けてきたのか、と考えてみたわけです。
今日はこの心の引っ掛かりについてが本題です。
私の人生においては宗教や教義がどう説こうが、この問いに納得することのほうが優先します。
私は毎朝、神様より愛に満ちた知性と想像力を与えられていることに、感謝の祈りを捧げています。
私にとっての知性とは、永遠の問いを問い続ける力となっているようです。
ではその答えは永遠に出ないのでしょうか。
おそらく、この問いは神様から出されたものでしょう。
ですから、神様に尋ねれば答えは見つかるはずです。
最先端科学は、宇宙の最初、生命の最初に量子真空があったとします。
やがて量子真空にゆらぎが生じると、急激な膨張を起こしてビックバンと呼ばれる大爆発で
すべてが光で満たされます。
そこから、宇宙が冷えると水素が出き、星が生まれ、様々な元素が生み出されます。
星が寿命を終え、爆発して宇宙へ飛び散り、再び惑星としての星が生まれます。
その一つが地球です。
この地球で原始の生命が生まれ、数十億年の歳月をかけて人類が生まれます。
量子真空から138億年の旅路の果てに、私という存在がここにいるということになります。
真空から生まれた宇宙が、物質を生み出し、生命を生み出し、精神を生み出した。
しかし、最先端科学も私たち人間の生命にいかなる意味があるのかはわからないままです。
神様の愛によって生かされ、心とが互いに通じていることを感じ、生命(いのち)に感謝できてこそ、
自己の存在の意味は確かにあるとわかる気がします。
そしてその意味を知ることになります。
私はそのように感じています。
私自身にありがとうと言いたいというのも何となくわかる気がしている今日この頃です。
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