変化にあわせると、壁が扉になる


私は登山の例え話をよくします。今回も登山に例えて、話をしてみます。

頂上ばかり見るのではなく、時々足を止めて、これまで登ってきた道のりを振り返ってみると、励まされることがあります。

山道の途中で、眼下に遠く見える町並みを見ることは、み旨の歩みで言えば、今までの自分の人生を振り返って、自分がどの程度、長い道のりを歩いてきたのかを知ることになります。

ようやく、ここまで来たのかという励ましだったり、あとどれくらいで頂上に着くのかという思いが交錯したりもします。

誰でもそうですが、マイペースで歩むことができれば、ストレスも少なく、頂上を目指す、足取りも軽くなるのではないでしょうか。

み旨においても、神様から命令されることを素直にそのままは実行はできません。自分なりにアレンジをします。そうしないと、マンネリになって、み旨そのものに、やる気が失せてしまうからです。また、自分にプレッシャーがかかり過ぎて、一歩も前に進めなくなってしまうことにもしばしばなるからです。

こうしてほしいと神様が願われても今は無理です、という事も私には多々あります。今では、神様も私がそうした性格だということをご存知で、それほど要求はされなくなってきました。(笑)

たぶん、昔のように神様と私の関係が師匠と弟子の関係のままであったとしたら、こうしたわがままはできなかったことでしょう。昔はいろいろと、私の身の回りに事件を起こしては、気づかせてもらったりもしましたが、今は自分で悟っていくことができます。

お父様と三弟子、十二弟子との関係もそうでしょう。弟子にとっては、お父様の言われた命令は絶対のように受け止めておられたように思います。しかし、そうした服従する・させる関係が消滅した場合には、おそらく、二人の関係は師弟を超えた関係になるかと思います。

私は、この師弟関係を超える出来事として、かなり衝撃的な思いを持ったことがあります。それは郭先生が韓国大統領候補に立候補することを最後まで拒まれた様子を知ったときでした。

郭先生はもはや側近としての弟子ではなく、お父様と同等の神様の息子としての立場に立たれた、だから突っぱねたのだと思ったのです。このことを通して、私も庶子以上の立場(息子)に立てたなら、み旨のプレッシャーから解放される(NOと言える)と思ったのです。

ところがその後、郭先生はご自身の講話の中で、「自分は養子のままである」と暴露されてしまいました。私はとても残念な思いになりました。そして、神様も真のお父様もがっかりされたことと思います。

韓国の大統領候補に立候補されなかったことを神様は落胆されたのではありません。郭先生御自身のお気持ちの中に実子にはなれないという意気地のなさを発見して、落胆されたのです。真のお父様の命令に従わずとも、そのことが問題ではなかったはずです。郭先生には実子としての誇りを持って、メンタル面で越えていってほしかった壁があったと思います。

私にとってはここからが大事でした。むしろ、この失敗(郭先生の養子宣言)を逆手に取って、プラスの意味を見つけていくことで、み旨に別ルートを切り開いていきたいと思ったからです。

「顕進様は郭家の養子」になっている、「郭先生は顕進様の義父である」、という見方があります。これは表面上だけです。摂理的には、顕進様と郭先生との関係は兄弟関係です。郭先生が神様の養子であるなら、実子である顕進様との間には心情の隔たり、壁があります。これを取り除かなくてはなりません。

取り除くためには、郭先生ご夫妻自らが「真の父母宣言」をするということが効果的でした。郭先生ご夫妻が、二人そろって、「真の父母宣言」をなされば、それに呼応して、「顕進様ご夫妻も真の父母宣言」をなされます。

このようになった段階で、人類が庶子圏を突破していく道が開かれていきます。今では、このルートの実現可能性はかなり低いようです。顕進様ご家庭につき従うというだけの道は、郭先生ご自身も含めて、つき従うシックたちにとっても次のステージに登る道ではないように思います。これはつき従うという気持ちの中には、そもそもはじめから僕(しもべ)の心情が混じってしまっているためです。

そこで、つぎの案(別ルートB案)は、開き直って考えてみる必要があります。これが天皇皇后さまによる実子圏突入案です。すでに、天皇皇后さまは、日本の国の象徴として、国父、国母でいらっしゃいます。つまり、一国の父母としてのお立場です。郭先生が韓国大統領に立って、真の父母の位置に立たれたようなものです。国家を背景としたひとつの基準の上に、私たち日本人シックは今日立っているように思います。

日本人シックの祝福家庭の基台から、神道(しんとう=神様の別ルート)経由で天皇・皇后さまを真の父母の代身としてお慕いしながら、「真の父母宣言」の代わりとなるものを発信すれば、庶子圏を突破し、実子圏に突入できるのではないかというものです。

しかも、日本人シック、日本国民は、天皇皇后さまに対して、自分たちが僕(しもべ)であるという気持ちはまったく持っていません。むしろ、実の父母を慕うような気持ちで、お慕いすることが可能です。

こうした案は奇抜とか、展開が急すぎとか、発想についていけないという方たちも大勢おられることでしょう。現時点でのあくまでも私個人の開き直りの私案(代案)です。その点をご理解していただきながら、今後じっくり検討していきたいと考えています。

まずは落ち着いてみよう、という声もどこからか聞こえてきそうですね、(笑)。皆様もこれからは、変化していくことに今まで以上にメンタルは強く持っていただきたいと願っております。

壁は扉にも変わる時代でもあるからです。

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