国家をまとった聖霊の国・日本


日本人は神様が大好きです。日本には、豊かさと平和の日常があると思います。

日本人の心が知っています。もっと神様とともに楽に生きていけることを。

もっと、神様との関係を活性化させ、仲良くなっていけることを。

神様はいつの時代にも、ともにおられます。

神様に心を配り、その中で摂理を発見し、自分がその摂理にどう関われるかを考えていければいいのです。

しかし、今、困ったことが起こっています。世界には好戦的な民族がいます。日本人のように自然信仰の民族は基本的には闘いは好みません。しかし、好戦的な民族は最後には暴力で世界を動かそうとします。他の民族に対しては全てを破壊することも厭いません。

好戦的民族の気質に共産主義・唯物思想が加わっています。

儒教の影響もあるでしょうが、共産主義と合流した宗族主義となっています。一族の繁栄のみを優先する政権を誕生させています。

今の中国、北朝鮮はその最たる国となっています。

中国、北朝鮮は世界を乗っ取る考えです

中国は国際機関や貧しい国々を身内のように取り込んで中国共産党の利益となるように常に知略を巡らせています。

北朝鮮はミサイルを発射して、怖がらせるのが大好きです。

戦狼外交(せんろうがいこう)という言葉が今の中国を表現しています。

およその意味は、「中国に抵抗しても無駄だということを痛みで他国にわからせる。中国が他国を痛めつけるのは、中国の繁栄にとって、有益な教育となる」との認識です。

そして北朝鮮は前門の虎となって、常に牙をむいています。

戦狼や前門の虎に対して、日本は「つつしみ外交」で共存を目指します。万物を神様の分身として敬ったように、あらゆる民族にも敬意をもって接していきます。痛みを分かち合うことの大切さを古(いにしえ)より知っています。

日本人は自然の中で、溶け込むようにして、何千年も暮らしてきました。穏やかで調和的な精神文化を築いてきました。

こうした世界観をもっていたのは、古代日本人だけではありません。古代ヨーロッパに住んでいたゲルマン人やケルト人も、同様の世界観を抱いていました。その精神はキリスト教に受け継がれました。もちろん、キリスト教に名を借りた強欲や傲慢ではありません。

キリスト教の人類博愛の精神は、マザー・テレサなどにも実際みられますが、イエス様以上に聖母マリアが時として重なって見え隠れしています。聖霊の出現です。真の母(独り娘)が現れたので、日本においては、神道や仏教的マリア信仰から、「まことのちち、はは」信仰へと橋渡しができるようになりました。

真の母は、聖母マリアの残された道を引き継いでいきます。実体の「国のちち、はは」は、国家基準の愛の主体となり、「まことのちち、はは」の愛を相続していきます。真の子女としての日本シック家庭が基台として支えていきます。

韓国は、真の母が住んではおられますが、国としては、大人になれない子どものような未だ未成熟な国です。しかし、前門の虎の北朝鮮に対しては日本のために対峙しています。国土と国民を投げだして横たわってくれています。

朝鮮戦争のとき、米軍の補給確保に日本も背後で一生懸命働きました。それは何故だったのでしょうか。韓国が日本の防波堤となって共産軍と戦ってくれたからです。日本は今もその恩義に感謝し、これまでだまって、つつしみ深くしてきました。朝鮮戦争の特需を決して欲したのではありません。

今、台湾が同じ様に、日本と中国の間に立って、対峙してくれています。台湾有事には、米軍の燃料や食料補給、後方支援を日本は全力で行い、一緒に戦います。

米国は父のようなたのもしい国です。その米国に対して、日本は母の国となって支えます。米国と日本に手を出すことは、父と聖霊の国に歯向かう者となります。日本は国家をまとった聖霊の国と言えるからです。

当然、許しがないという事態(全面戦争)になりえます。

何故聖霊の国日本に逆らうことが許しがないことになるのでしょうか。

それは聖霊には、ふたつの生命(いのち)があるからです。

ひとつは、今を生きている世界の国や国民の生命(いのち)という正真正銘の生命(いのち)があります。

もうひとつは、これから生まれてくる生命(いのち)です。お母さんのお腹から生まれてくる生命(いのち)ももちろんそうですが、聖霊が生み出す神様の安らぎと幸福な世界という生命(いのち)があることを知らなければなりません。

神様は、聖霊の国が願う平和な世界を破壊させるわけにはいきません。目の前の生命(いのち)を犠牲にしても守っていくことになります。

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