世俗的な現代社会の中の神様


現代の世の中は、一見神様とは関係ないように見えて、大いに関係があったりします。世俗的な現代社会にあっても、神様ないし宗教は完全に消え去ることはできません。特に誰もが国は違えても人の死を目の前にすれば、何らかの宗教儀式によって、死者を弔います。

また、多くの市民の生(人生)においても宗教は重要です。個人的アイデンティティ(私は何なのか?)だけでなく、「この国は何のために、誰のために存在するのか?」といった問いかけや政治的アイデンティティにも影響を与えているのです。

今日の社会は、政治的な世俗化や多様化を認めつつ、政治と宗教は深いところで繋がっていると考えられます。世俗(政治)と宗教という対立概念でとらえる流れよりも、宗教的な世俗性、あるいは世俗的な宗教性という流れもあるのではないでしょうか。この頃は私自身そう思えるようになりました。

ところで、神様のみ言の真偽を誰が判別し、対応する権限はどこにあると考えたらいいのでしょうか。アメリカの国家においては、ユダヤ=キリスト教の伝統が歴代大統領や議会を実際に動かしています。その背景にはアメリカ国民の九割が神様を信じているという前提があるからです。

それに対して日本ではどうでしょうか。天皇に神々の重要な意思が示されたり、神様が人間社会に直接介入できる態勢、システムが寺院、神社を通してできあがっていると考えられます。日本の国民もまた天皇に対しては、ひとつの共通する概念をもっています。天皇の存在に神様同様の畏怖を認めてきました。神社やお寺に対しても、日本人が共有して持つ意識があります。それは潜在意識の中にある「清浄」性であるように思います。

イスラム社会では、日に何度も神様に祈ります。その度に必ず手を洗います。そのため、手桶に汲んだ水は祈祷には欠かせません。しかし、日本人のほとんどは常に祈りはしませんが、すでに日常的に手を洗うことは習慣化しています。その根底には清潔を保つという表面的な意味だけでなく、穢れを落とすことへの潜在意識が働いていると考えます。今日では、さらには日に何度もトイレでお尻も洗っていますね(笑)。そして、食事のときはいのちをいただきますのあいさつをします。

また、日本人はいざとなれば、錦の御旗を掲げて意見の一致をさせていきます。今回「安心安全」なオリンピックを実施しようという場合もそうです。この「安心安全」は「錦の御旗」としての意味があります。「錦の御旗」は、朝敵(=天皇にそむく賊)を征伐するのに用いた、赤地に金銀で日月を刺繍した旗のことです。今では、日常的に日本人は現代社会のいたるところで、錦の御旗で権威づけし、大義名分にして、背後におられる神様までもサラリと匂わせているのです。(笑)

日本人的には、聖書に出てくるアダム・エバが裸を恥ずかしいと思ったという感覚もちょっと違って見えます。ちょっと神様には日本ヤクザ風におっしゃっていただきますと、「アダム、おまえもオリジナルワンを張っている男だろうが。何じゃい、このエバとの関係は。しかも言い訳するとは男として恥ずかしくねえのか!」と、こんな感じなるかも(笑)。日本人のメンタリティとしては、清くない心根が恥ずかしくないのかというわけですね。

世俗的ではあっても、潔い、清いということが大切です。今は聖性まで突き詰める必要はないのではないかと思います。聖性は人間に内在する神様の特性ですが、人間である私たちがこの社会で生きるということにおいては、世俗であっても、清浄でありさえすれば十分ではないでしょうか。もちろん、聖性はあってもよいのでしょうがそればかりでは生きづらいのも現実です。家庭連合が今直面している危機は人類が何千年と蓄積してきた神様との関係をさらに発展させていくためのものであって、課題は当然あることなのです。

現在の日本が選民圏に属していても、日本の神々を日本列島固有の存在として主張したのでは、あまり意味はありません。日本の神様を世俗の社会に引き出して、さらに広い世界の舞台へと繋げていくためには基本ソフトが必要となってきます。同時に汎用性の高いフォーマットも求められます。それが「天皇制」であり、「真のちち、はは」であるように思います。以前「千の風になって」という歌曲が大ヒットしましたが、日本人の感性には、道端に咲く野の花にも、何を祀るとも知れない無数の祠にも神様の象徴として感じとることができます。草木も無生物である道祖神にも、神様の存在を感じます。

人類と神様の関わり合いの歴史は、直線的な進化ではないように思います。むしろ、歪んでいる面が大いにあることでしょう。そうした歪みにも照らしながら、私たちが統一シックが発掘していったものの中では、「真のちちはは」は世界に向けて、日本の天皇制とともに、宗教と世俗を繋げる世界に誇れる汎用性のあるフォーマットになりえると思っています。

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