皆さん、お元気でしょうか。いよいよ私も高齢者の仲間入りということで、新型コロナウイルスワクチン接種の予約の葉書がきました。さっそく予約したところです。日本全体では接種率はまだまだのようですが、早く収束することを願っています。
さて、本日は少し悟りもあって、上記のようなタイトルでお話してみます。今は真のお母様に従うとか、ご子女様に従うという選択肢以外にも、ご自分の家庭内を円滑に保つことを優先していくべきかと考えます。夫婦が親子が笑い合える環境を整えることを考えていくべきかと思います。そのためには、家庭連合、サンクチュアリ教会、家庭平和協会とも、それぞれに適度な距離を置くことは必要なことかと思います。事実、私はそうしてきました。今後はよりいっそう、距離を取っていくつもりでいます。これが、み旨は下ってこそ完結するの意味です。深い意味はありませんが、とても私の良心が喜んで、希望に感じています。
私の人生は二十代、三十代は出家的人生でした。み旨を生涯かけて追及するために、統一教会を選んだのでした。もちろん、選択肢としては、他にもいくつかありました。しかし、一旦は仕事も学業も捨てて、出家の道を選んだほうがみ旨においては近道であると考えたからです。この選択肢は今でも間違っていなかったと思っています。
ひたすら、頂上を目指しての歩みとなりました。2000年を目前にした1990年代は、教会内にかなり違和感を感じていました。そこで、しかたなく社会に出て出家から俗社会に身を投じることにしました。この選択も間違ってはいないと思っています。ベストではなくても、よりベターだったように思います。
しかし、四十代、五十代は社会に馴染めず(当然のことなんですが)、常に砂漠を歩いているような人生でした。ただ、神が共にあって孤独ではなかったのは救いでした。教会の中はすでに何者かに浸食されている気配を感じていました。俗社会よりひどい状態でしたので、戻りたくても戻ることはできませんでした。イメージとしては、ゾンビと化した教会を見るような感じでしょうか。(教会で公務についている皆さん、ゴメンナサイ。)
現在は六十代になって、仕事も定年を迎え、次の十年をさらに高みに登ろうと準備していました。つい先日まではですが。(苦笑)
ところが、高みに登ることがみ旨ではなかったことを悟ったのです。すでに登りきっていたのです。今まで、み旨を低山と言われる里山に登っているようなものと勘違いしていたと反省しています。み旨は単独登山ではありません。チームを編成して登るものです。しかも、み旨成就の難しさから言えば、8000メートル級のヒマラヤ登山ではないかと思うようになりました(今頃気づいたのかとつっこまれそうですが)。ですから、今はチームメンバー全員を安全に下山させることが急務だと悟ったのです。
例えれば、私は雪崩の破断面(教会が崩壊していく様)をずっと、見続けてきたのです。でも心のどこかで、まだ頂上までいける、そのルートはまだ残されているだろうと考えていました。ここ(私たちシックのみ旨の位置)は標高7700メートルの山頂付近と考えてください。8000メートルを超える世界は未踏の世界でしょう。
このまま進むのはデスゾーンに突入を意味します。み旨の山頂は目の前で、誰もがあと少しだとの声が聞こえてくることでしょう。もうすぐゴールだと思えることでしょう。しかし、ここは下山を決意すべきだと思いました。無理をして霊的いのちを失う必要はありません。
疲労困憊しているのであれば、まずは休息です。この三カ月間、仕事も退職して、有給休暇も一カ月取り、ずっと考えてきました。体力を失って下山することもできなくなってしまっては意味がありません。下山を決意してみると、この判断はよい方向に働いている予感がしています。むしろ、下山がみ旨の完結へと導いているとさえ思えてきます。理由はわかりませんが、いわゆる導かれているという実感です。いままでも、しばしば、起こる心情世界の感覚です。常にその導きに従って、今日まで来ていますので、今回もこのままいっても大丈夫かと思います。
もちろん、今後下山中にルートに迷うこともあるでしょう。その時は、登り返すことも考慮しないといけません。8000メートル近くまでまた登る判断をするのです。高山で道に迷っても、下りながら正しいルートを探すのは、「ふつう」の人の考えでしょう。しかし、み旨をヒマラヤ登山に例えるなら、「万一」「もし」を把握してひき返す決断をしたなら、その引き返しのルートには登りも含まれます。こうした柔軟さがなければ、そこからの歩みは遭難の第一歩になります。柔軟さとは、各教会(協会、連合)と適度な距離をたもつという意味でもあります。
こうした登り返しをおこなったりしながら、頂上を目前にして、下山の決意をするということがみ旨には必要なことだと思います。人間がやることです。失敗に終わることもあります。その失敗は次の挑戦のための糧にすればよいのです。お母様、そして、ご子女様方、それぞれの方たちは、すでにホワイトアウト(吹雪)状態の中におられます。誰が見ても、一体化はしていません。すでに猛吹雪の状態なのです。それぞれがこの先、天候が回復するだろうと、根拠のない情報を流しています。いつまで経っても晴れ間は見えません。すでに下山のタイミングは逃しています。お互いのプライドが邪魔をして、下山の考えがまったくありません。確かに、見上げれば、まだ雲間に頂上は見えるかもしれません。ただ、足もとには広大なクレパス帯が広がっているのです。
ベースキャンプまで戻って、まずは心情の回復を待つべきでしょう。このベースキャンプについては、次回にふれることにします。