明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
1月2日、皇居での新年一般参賀に行ってまいりました。
天皇、皇后両陛下、秋篠宮ご夫妻、皇族方が宮殿にお出ましになられ、
陛下は「本年がみなさんにとって、安らかで良い年となるよう願っております。
年の初めにあたり我が国と世界の人々のしあわせを祈ります。」と
お言葉を述べられました。
私がなぜ皇居一般参賀に出かけたのか。
それは長年疑問に思っていたことがあったからです。
その疑問の答えを肌で感じ、確かめてみたいと思ったからです。
中国などは、国名が秦、漢、元、明、清、中華民国、中華人民共和国と変わってきました。
イギリスもイングランド王国、イギリス王国、イギリス連邦。
三韓、統一新羅、高麗、李氏朝鮮、韓国。
東ローマ帝国、オスマン帝国、トルコ共和国などなど。
時代によって異なる国名になるのが世界では当たり前ではないでしょうか。
そして国名が変わるたびに、多くの血が流されています。
しかし、唯一、世界の中で、日本だけがずっと「日本」という国名が続いています。
もちろん、日本国内での紛争、戦いがなかったわけではありませんが世界のそれと比べると
国名を変えるほどの王朝間での権力争いは未然に防いでこれてきたのです。
なぜ日本だけが日本でありつづけることができたのか。
そして日本は世界最古の王朝として世界最古の国で今もありつづけていられるのか。
その答えがまさに天皇の存在とその祈りであるように思います。
国民の幸せを祈る天皇という存在を戴き、国民はまたその存在を長い歴史の中で守り続けてきたのです。
こうした歴史・伝統が日本にはあるのです。
これはまさに奇跡だと思います。
私はここに神の深淵なる御業を感じざるをえません。
私は若い頃から「真の父母」について旧統一協会で学んできました。
国家における真の父母とは、子である民(国民)の安寧、平安を祈り願う存在です。
日本国民は皆家族です。日本列島、国土は私たちの家です。
そうであるためには国家の父母が立っていなくてはなりません。
天皇と日本国民に親子の関係性を最も感じたのは、皮肉にも戦後GHQのマッカーサー元帥でした。
彼は昭和天皇の自分はどうなってもよいから国民を救ってほしいというお言葉と、
皇室は私たちの宝だから残してほしいという国民の願いの両方を聞いて、日本の皇室の尊さ・精神を見たのです。
こうしてみると、現存する国家における真の父母の立場にずっと立ち続けて
今も存在するその姿を世界の中に捜してみると、
日本国の天皇、皇后陛下以外にはないという結論にいたります。
独裁国家における首領や大統領などについては、伝統、永続性などいずれも日本に劣るものです。
核兵器の開発を片手で推し進めながらもう一方の手で平和を唱える行為は、品格もさることながら極めて悪意に満ちたものでしかありません。
バチカンはローマ教皇によって統治され、カトリック教徒から父母のように慕われています。
しかし残念ながら教皇には皇后陛下ような最も身近で寄り添い支えてくださるような方がおられません。
愛する伴侶がいないというのは寂しいものです。
このことは教皇自らが一人で父母の愛を体現することの極めて困難さを示しています。
現在、世界で皇統(祈りの伝統)を長く続けている国家は日本が唯一です。
その日本の国民の真の父母として立たれているのがまさに天皇・皇后陛下といえるでしょう。
この日、参賀の最中に私のすぐ近くで熱心に万歳を叫んでいる方たちが大勢いました。
その気持ちもよくわかりました。
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