耳をすませて、ジャガイモを育てる


私はこの「耳をすませる」の意味を心の声を聴くという意味でとらえています。

人によっては直観力を働かせるととらえるひともいるでしょう。

人生の岐路にあるとき、常にこの心の声に耳をすませて、直観力を働かせてきたように思います。

これから、70歳を目の前に迎えようとしています。

ふと、「じゃがいもを植えよう」という声が聞こえてきたように思う。

ジャガイモ?、そうあのポテトのジャガイモです。

晩年の文氏がジャガイモ畑を妻とつくりたいと願っていたことを知る者は少ないだろう。

畑を耕し、肥料をあげ土を作り、そこに種芋をまく。

収穫時は夫婦ともに喜び、そののちジャガイモ料理を楽しむ。

日常の何気ない生活の中に、真の父母として夫婦お互いが気づくべきこと、

そして築くべきことがあったように思う。

それができなかったことが残念だったのだろう。

今多くのシックは、自分の人生は大いなる何かに導かれているという確信や覚悟をもって生きていることだろう。

そうした中で心が聴いた声は、単に作物を育てるだけではなく、自分自身を育てようとしていると気づく。

昨今の教会をめぐる否定的な出来事も自分の成長の糧になると思える。

だから、ジャガイモを作ることには深い意味があると感じている。

ジャガイモを育て、食することを通して、真の父母の世界が見えてくると思えるからだ。

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