断捨離とは、モノを捨ててスッキリする、
そして
こころを軽くすることです。
これは確かに一理ある。
少しでも断捨離(モノを捨てる)してみると
気分はスッキリする。
「でも、だって」
「とりあえず、なんとなく」
「せっかく」
これはモノを断捨離するときに出てくる
捨てることへの抵抗
まやかしワードだそうです。
「いつか使うかもしれない。」
「とりあえず捨てないでとっておこう」
「せっかく買ったものだし・・・」
こうした言葉がまやかしです。
この言葉が出てきたら
捨てるのに躊躇しているのです。
これはまやかしですから
捨てていいものだと
しのごの言わず、
キッパリ捨てます。(笑)
たしかにモノではそうだろう。
信仰においてはどうだろうか?
信仰を捨てることなんかできない?
でも、今さらやめられないし。
せっかく、今まで信仰してきたし。
とりあえず、保留でそのまま様子をみよう。
いつか、家庭連合はひとつになるかもしれない。
韓半島は統一されるかもしれない。
世界は平和になるかもしれない。
ところが現実に起きていることは、
お母様、三男さん、七男さんは
もはやひとつになることはありません。
韓半島の火種はますます大きくなっています。
世界は新たな米中の冷戦を迎えています。
せっかく、数十年かけて信仰してきたのに。
過去にすがっても
良き未来はきません。
とりあえず、様子をみながら判断しよう。
こうした先延ばしは、
現実逃避かもしれません。
信仰にすがっていることに安心し、
自分の神様を主軸において
いないのかもしれません。
信仰をやめることには
抵抗がありますね。
しかし、信仰を続けながらも
捨てるべきものは捨てることができます。
怨まない、妬まない
怒らない
愚痴らない
こうした感情は捨てることができます。
そして、お母様、三男さん、七男さんの
三つ巴の争いに
必要以上にこころを奪われない。
すなわち、
自分の時間を奪われないことです。
他人ができることは任せます。
つまり、自分しかできないことをします。
その他のことはやらない。
捨てます。
自分に残された時間を何に使うべきか
ということが大切です。
各人それぞれに
天命があるのですから。
そこに向かってエネルギーを
集中させたらいいでしょう。
もちろん、世界人類の安寧と平和のために、
お母様とご子女様のわだかまりがなくなることを
願い、祈ることはよいことでしょう。
ただ、あくまでも
恨まない、妬まない、怒らない、愚痴らないが
前提となります。
私もだいぶ怒らなくなりました。(笑)
つまらないうわさ話や
くだらないもめ事、愚痴の類は
触れないようにしています。
私たちは霊的な生き物です。
自ずと相手の雰囲気とか
無意識に受け取り、
オーラとして感じます。
現実認識の低い人、
俺様タイプの人、
同じことをネチネチくりかえす人。
人がどうのこうのではなく、
自分を好きになることが
天国への近道です。
なぜなら、自分の中には
神様がおられるのですから。
私の神様を一番に好きになれれば
よいのです。