み言の内容が、「ああそうなんだ、そのとおりだ」と心で納得できることを何度も経験すると、神様の心情を知る第一歩となります。
そこから、神様に「侍る生活」が始まっていきます。
朝起きたときの「おはようございます」も、まず神様にします。いつもどこへ行っても神様と会話をします。
私はこれを神様の心情を体恤(たいじゅつ)するための生活だと感じています。
うれしいときは、「神様うれしいです。」
悲しいときは「神様悲しいです。」とお話します。
そうすると神様から「私もそうだよ」という感じが伝わってきます。
神様と一緒にいることを感じるようになると、神様の思いがわかるようになります。
「神様はこうしたいんだな。」「神様はこうすればうれしいんだな。」と思うようになります。
体恤(たいじゅつ)とはそんな感覚なんだと思います。
そうすると神様と一緒に暮らす生活は、「体恤(たいじゅつ)生活」だとも言えます。